後漢書とは|成立・構成と史料として読む注意点

後漢書(范曄)の成立・構成と本文/注/志の層を整理。倭条を読む前に押さえる注意点と論点の場所を解説。

後漢書ごかんじょは、後漢(おおむね東漢)の歴史をまとめた「正史」で、倭(古代日本)に関する記述も含むため邪馬台国研究で参照されます。
倭国に関する記述は、巻85「東夷列伝」内にあり、『後漢書倭伝』や『後漢書東夷伝』と呼ばれることもあります。

この記事では、成立・編者・構成を押さえたうえで、どこまでを「本文から確実に言えること」として扱えるかの線引きを作ります。

あわせて、参照されやすい章段と、読みが割れやすいポイントの“場所”を先に示します。

注意点を一つだけ先出しします。
本文(本伝)と注(後代の補注・引用)を混ぜて断定しない、これが基本姿勢です。

この記事で分かること
  • 後漢書の成立・編者・対象時代・「正史」としての性格
  • 構成(120巻)と、本文/注/補入部分など“層”の考え方
  • 邪馬台国研究で参照される章段と、論点が分岐する「場所」の見取り図
目次

後漢書とは

後漢書の中で倭について記載している部分(赤字部はその冒頭)
後漢書の中で倭について記載している部分(赤字部はその冒頭)

後漢書(ごかんじょ)は、後漢(東漢)の歴史を紀伝体でまとめた中国の「正史」です。
邪馬台国研究の文脈では、倭に関するまとまった記述があるため参照され、とくに巻八十五「東夷列伝 倭条」が入口になりやすい史料です。

この記事では、成立・構成(どの巻に何が入るか)と、現代の通行形で混ざりやすい「本文/注/注中引用」の層を押さえ、史料としての線引きを作れるように整理します。
注意点をひとつだけ先に言うと、本文と注を混ぜた瞬間に「年代」と「根拠の所在」が崩れやすいので、読む前に層を分けるのが安全です。

基本データ

成立・編者
著者范曄(本紀と列伝)、司馬彪(志)
成立年本紀と列伝は432~445年、志は306年以前

後漢書は、後漢の同時代史料ではなく、後漢(25–220年)から一定の距離をおいてまとめられた「後代の編集物」です。
したがって、本文が何を根拠に叙述しているか(伝聞・引用・整理)を意識して読み始めるのが安全です。

王朝の流れは「後漢 → 三国(呉蜀魏)」
歴史書の成立年は三国志の方が早い

構成(巻立て)

全120巻(本紀10・列伝80・志30)

通行形では、本紀・列伝(あわせて90巻)が後漢書の本文側として読まれ、志30巻は別系統の「続漢書(司馬彪)」の志を補入した形で併置されることが多いです。
ここを混同すると「誰の編集か」「どの層の情報か」が曖昧になりやすいので、最初に枠を分けておきます。

現存形態

現代の読者が接する後漢書は、本文と注、さらに志や注補が一体で表示される媒体が多く、見た目だけでは層が分かりにくいのが難点です。
引用や要約では「本文なのか/注なのか/注の中の別史料引用なのか」を都度ラベル付けすると、後で根拠が追えます。

本文(范曄)/注(李賢注)/志(司馬彪)+劉昭注補…が同じページに並びやすい

邪馬台国研究で参照される理由

後漢書は、倭(古代日本)についてだけでなく、邪馬台国の話もまとまった叙述を含む史料です。
邪馬台国研究では特に、魏志倭人伝と比較されたうえで「別系統の記述がある史料」「似ている別文字で記述された史料」として参照されます。

建武中元二年倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

『後漢書』巻85 東夷列伝 倭条

この一文は、「魏志倭人伝」にない記述として有名です。

後漢書の成立過程

中国では、王朝が変わった際に前の王朝の歴史を記録する文化がありました。
しかし後漢は、王朝として君臨する間に自身の歴史の記録を試みていました。
何人もの人物が執筆にあたり、最終的には225年までに楊彪1がまとめて『東観漢記』という書物を作成します。

ところが『東観漢記』には、一貫性に欠けるなど、複数人が編纂した結果による弊害がありました。
そこで後年に一人で後漢のことをまとめる動きが活発化し、9種の書物がそれぞれ別の人物によって作成されます。
これらのいくつかをまとめて、七家後漢書あるいは八家後漢書などと言います。

書物名著者(国と生没年)書式
後漢書謝承(呉、生没年不明)紀伝体
後漢記薛瑩(呉、生年不詳~282年)紀伝体
続漢書司馬彪(西晋、生年不詳~306年)紀伝体
後漢書華嶠(西晋、生没年不明)紀伝体
後漢書謝沈(東晋、生没年不明)紀伝体
後漢南記張瑩(東晋とされるが生没年も含め詳細不明)紀伝体
後漢書袁山松(東晋、生年不詳~401年)紀伝体
後漢紀張璠(東晋、生没年不明)編年体
後漢紀袁宏(東晋、328~376年)編年体
七(または八)家後漢書とされる9種の歴史書

范曄がまとめた後漢書

范曄2は、9種の書物から紀伝体の7種と『東観漢記』を利用して後漢の歴史書を執筆しました。
これが現在一般的に言われる『後漢書』の元ですが、范曄は「志」を完成させられませんでした。

そこで後年に劉昭3が、七家後漢書の1つである『続漢書』の志の部分を『後漢書』に合併させ、130巻からなる『後漢書』の注釈集『集注後漢』を作成しました。
これが現在伝わっている『後漢書』になります。

その後年にさらに李賢4が、本紀・列伝に対して注釈を作成しています。

著者注釈
本紀・列伝范曄劉昭と李賢
司馬彪劉昭
現在の『後漢書』の構成

後漢書成立過程をまとめると…

スクロールできます
国・王朝出来事備考
220年後漢が滅亡
魏が建国
その後三国時代へ
220~225年頃楊彪が『東観漢記』を完成
225~400年頃9人がそれぞれ後漢に関する書物を編纂
265~306年頃9人の1人である司馬彪が『続漢書』を編纂後に後漢書の「志」になる
280年西晋が中国を統一
三国時代が終了
280~297年陳寿が『三国志』を編纂
317年西晋が滅亡
東晋が建国
432~445年頃范曄が『後漢書』を編纂「本紀」と「列伝」のみ
502~557年頃劉昭が注釈集『集注後漢』を作成本紀・列伝・志が揃う
676年李賢が本紀・列伝に注釈を付記
後漢の歴史書に関する年表

史料として読むときの注意点

典型的に読みが割れやすいポイント(語義・制度・地名比定の“型”)

後漢書に限らず、史料読解で読みが分かれやすいのは「語の指す範囲」「当時の制度語」「地名・距離・方角」といった“型”です。
ここで大事なのは、いきなり結論に飛ばず、まずどの語(どの句)が分岐点になるのかを特定しておくことです。
倭条の場合は、国名表記(用字の揺れ)、方位距離表現、役職名(自称を含む)の扱いなどが、議論の入口になりやすいポイントです。

版本差・校勘・字形方針(どこで揺れるか)

後漢書は版本が複数あり、異同や誤刻が起こり得ることが前提になります。
そのため引用や要約をするときは
(1)どの版・底本に依っているのか
(2)本文なのか注なのか
(3)注の中の「別史料引用」なのか
を分けて記録するのが安全です。

邪馬台国研究での“主軸/補助線”の置き方(この史料をどの距離で使うか)

後漢書は邪馬台国研究にとって重要史料ですが、使い方は一色ではありません。
ここでは「主軸/補助線」という置き方で整理します。

例えば、ある主張の根拠を後漢書の一文に全面的に預けるのか、それとも「他史料で立てた骨格を補強する補助線」として扱うのかで、必要になる検討(版本差・注の層・用語の幅)が変わります。

関連史料との関係

主軸:時代の骨格を立てる史料

邪馬台国を含む「倭」関連の叙述を読むとき、主軸になりやすいのは、対象時代の骨格を最もまとまった形で示す史料です。

後漢書は後漢期(東漢)の枠組みを与えてくれるため、倭条の記述を「いつの時代の話として読むのか」を整える土台になります。
一方で、邪馬台国そのものの検討で主軸になりやすい史料は別に立つことが多く、その代表が『三国志(魏志倭人伝)』です。

後漢書は、主軸そのものというより「主軸の前提(前史や制度感覚)を整える」側に回る場面も多い、という距離感を意識すると読みやすくなります。

補助:記述の欠けを埋めたり、読みの分岐点を可視化する史料

補助線としては、時代や視点が少しずれる史料が役に立ちます。
例えば前漢側の史料は、語彙や周辺世界(郡県・対外関係)の枠組みを確認するのに向きます。その入口として漢書を押さえておくと、後漢書の記述を「漢代史料の文脈」に置き直す作業がしやすくなります。

また、同じく中国史料でも別系統の記述がある場合、結論を決めるためではなく、どこで読みが分かれるのか(分岐点)を見つける補助になります。

読み分けポイント(結論を出す前に確認する順番)

まず後漢書の引用箇所について、本文なのか注なのかを確定し、次に巻・伝(倭条)の中でどの位置にある叙述かを押さえるのが出発点になります。

そのうえで、同じテーマを扱う他史料は「主軸(骨格)→補助(分岐点)→用語(意味の幅)」の順に当てていくと、議論が早い段階で“混ざる”のを防げます。

論点マップ

「倭奴国」朝貢記事(57年相当)の扱い方

どこまでを本文から確実に言えることとして採用し、どこから先を推論として分けるかが分岐点になります。

「卑弥呼」や「倭国大乱」記述の位置づけ

同じ倭条の中でも、叙述の性格(記録・説明・伝聞の混ざり方)を層で見分ける必要があります。

「邪馬臺國」など国名表記と字形の揺れ

版本差・字形差が議論の入口になるため、引用時は底本と表記方針を添えるのが安全です。

後漢書の構成(范曄パートと志の補入)をどう扱うか

どの部分が誰の編纂で、どの層の注が付くかを押さえると、引用の信頼性評価が整理しやすくなります。

注(後代注釈)に混入する別史料引用の扱い

注は非常に有用ですが、本文と同列に置くと「史料の層」が崩れるため、まず分離して読むのが原則です。

FAQ

「後漢書倭伝」は、どこを読めばいいですか?

まずは巻85(東夷列伝の倭条)を、本文の流れが分かる範囲で通読し、次に気になる箇所だけを「本文/注」の層を分けて見直すのがおすすめです。
本文確認用の短文としては、後漢書にしかない記述である「建武中元二年…」の一節が入口になります。

この記事だけで、邪馬台国の結論まで分かりますか?

結論(比定や学説の採否)を出す記事ではありません。
後漢書を材料にするときの「線引き」を作り、論点がどこで分岐するか(場所)を示すところまでを扱います。

参考文献・出典

参考文献

国立国会図書館 NDLサーチ
稲田大学出版部
Wikipedia
Wikisource

脚注

  1. 楊彪は142年生~225年没の、中国後漢末期から三国時代にかけての政治家・学者。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%8A%E5%BD%AA  ↩︎
  2. 范曄は398年生~446年没の、南朝宋の政治家・文学者・歴史家。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E6%9B%84 ↩︎
  3. 劉昭は生没年不明の南朝梁の官僚・文人・歴史家。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E6%98%AD ↩︎
  4. 李賢は655年生~684年没の中国・唐の皇太子。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%B3%A2_(%E5%94%90)  ↩︎
研究者にシェア!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次