北史(倭国伝)とは|成立・構成と史料として読む注意点

北史(倭国伝)の成立・構成と、倭条(巻94 列伝第82)の読み方を整理。邪馬台国関連の論点の入口と注意点をまとめます。

北史ほくしは、北朝史をまとめた「正史」で、巻九十四「四夷」内の「倭」条が邪馬台国研究でも参照されます。

この記事では、成立・構成と「倭条(巻94 列伝第82)」の位置づけを押さえたうえで、どこまでを本文から確実に言えることとして扱うかの線引きを作ります。
あわせて、読みが割れやすいポイントの“場所”だけを先に示し、学説比較はしません。

注意点をひとつだけ先出しします。
北史は唐初の編集史料なので、「書かれた時代」と「書かれている時代」を混ぜて断定しないのが基本姿勢です。

この記事で分かること
  • 北史がどんな本か(成立・編者・対象時代・構成)が分かります。
  • 巻94「四夷」倭条が、邪馬台国研究でどの距離感の“根拠”として扱えるかの線引きが分かります。
  • 論点が分岐しやすいポイント(表記・引用元・編集の層)の“場所”を、先に把握できます。
目次

北史とは

北史は、唐初の史家 李延寿 が編んだ紀伝体の正史で、全100巻(本紀12・列伝88)とされます。
扱う時代は北魏(386)から隋(618)までの北朝史で、内容は既存の史書(魏・斉・周・隋など)を基礎に、刪修・改編してまとめた性格が強い、と説明されます。
成立年の目安としては「659年成立」とする説明が流通しています。

基本データ

成立・編者
著者李延寿(父・李大師 の未完計画を継承した)
成立年659年頃

李大師、李延寿はどちらも唐の歴史家です。
李大師は李延寿の父に当たります。

父の李大師は、編年体の南北朝通史の執筆を構想して編纂していたものの、完成できないまま628年に死去。
後を継いだ子の李延寿は、16年かけて(つまり644年頃)『南史』と『北史』を完成させたとされています。
『北史』が正史として認められたのは659年です。

子の李延寿は、『隋書』や『晋書』の編纂にも関わっています。

構成(巻立て)

紀伝体・100巻(本紀12/列伝88)

邪馬台国研究で参照される理由

北史が参照されるのは、「倭国(倭)」の記述がまとまって載り、しかも本文中で『魏志』の邪馬台に言及しつつ、行程記事を並べ直しているためです。
たとえば巻94「四夷」の倭条には、次のように「邪摩堆=魏志の邪馬台」と明言する形で出てきます。

代表的に確認される短文(本文確認用)は、次のような箇所です。

居於邪摩堆則《魏志》所謂邪馬台者也
……又南水行十日陸行一月至邪馬台國即倭王所都

『北史』卷94 列伝第82 四夷

史料として読むときの注意点

成立時期の距離を先に置く

北史は「書かれた時代(唐初)」と「書かれている時代(北魏〜隋)」が離れています。
邪馬台国の文脈では、さらに「北史の倭条が参照している前史(例:魏志)」という層が入りやすいので、引用や要約ではまず“どの層の文章か”を明示しておくのが安全です。

「魏志」を引き合いに出す=独立証言ではない可能性

倭条には「《魏志》所謂邪馬台」という言い方が出てきます。
これは、北史の本文が「既存の叙述を参照し、用語対応を付けたうえで再編集している」ことを示す合図でもあります。
したがって北史の一文を“単独の根拠”として扱うより、前史(より成立の早い史書)とセットで位置づけるのが、議論が崩れにくいやり方です。

表記ゆれは「揺れた場所」をメモする

巻94倭条には、邪馬台国に至る行程が連続して書かれ、途中で「邪摩堆」などの表記も現れます。
この手の箇所は、議論が“地名の同定”や“ルートの読み”に寄りやすいぶん、まずは どの字形で出ているか/どの文脈で同一視しているか をメモするだけで十分です(結論は後回し)。

関連史料との関係

ここでいう主軸は「邪馬台国まわりの出来事(とくに1〜3世紀)や、倭の対外関係(5世紀前後)に“より近い層”の史料」で、地理・年代・外交表現などの検討の起点になりやすいものです。
一方の補助は「後世に編集・整理された情報も含むが、用語対応(邪摩堆/邪馬台など)や叙述の並べ替え(まとめ方)を見て、論点の入口を指差してくれる史料」です。

主軸:論点(年代)ごとに「根拠を置く場所」を切り替える

『北史』倭条は、本文の中で「魏志」を引き合いに出しつつ(例:邪摩堆=邪馬台)、行程や国名を“まとめ直した叙述”として読める場面があります。
そのため、邪馬台国の議論を『北史』単独で立てるより、まずは論点が属する年代を固定して、起点となる史料(主軸)へ根拠を戻すのが安全です。

補助:北史は「まとめ直し(整理のしかた)」を見るハブとして使う

『北史』の強みは、個別史料で散らばって見える話題(女王国・行程・倭王・朝貢など)を、後代の編者が どんな順番/どんな分類で束ねたか を一望できる点にあります。
つまり北史は、結論を単独で作りにいく史料というより
(1)論点の入口を見つける
(2)“どの年代の話か”を切り分ける
(3)主軸史料へ戻るための道しるべにする
という使い方が相性が良いです。

読み分けポイント:北史は「入口」、根拠は「主軸」に置く

運用としては、次の往復を前提にすると混線しにくくなります。

  • 北史で「倭条のどの段落に何が置かれているか」を確認して入口を作る
  • その段落が指す年代(3世紀/5世紀/隋代)を固定する
  • 対応する主軸史料(魏志倭人伝/後漢書/魏略、あるいは宋書・梁書・南斉書、隋書など)へ戻って本文確認
  • 最後に北史へ戻って「どう整理・言い換えされているか」を点検する

この往復を前提にしておくと、「北史に書いてある」をそのまま一次情報として固定しにくくなり、同時代に近い根拠(主軸)と後代整理(補助)を混ぜにくくなります。

論点マップ

倭条はどこまで「引用」で、どこからが北史側の整理か

“魏志”への言及や、同一視の書き方が分岐点になります。

地名表記(邪摩堆/邪馬台国など)の扱い

字形の違いを「差」ではなく「記録」として先に固定します。

行程記事(距離・日数)の読み方

“里数不知、日で計る”など前提があるため、単純換算に飛びにくいのが安全です。

「倭王所都」という言い方のニュアンス

同じ箇所でも、誰を主語に置くかで読みが割れやすいポイントです。

本文の底本・校勘差(どのテキストで確認したか)

引用・検討の前に「どの版で見たか」を固定します。

FAQ

北史の「倭国伝(倭条)」はどこにありますか?

北史の倭に関するまとまりは、巻94(列伝第82「四夷」)の「倭」条にあります。

北史だけで邪馬台国の結論を出してよいですか?

結論の固定はおすすめしません。北史は唐初の編集史料で、本文中にも“魏志”への参照が見えるため、前史(より成立の早い本文)とセットで扱うのが安全です。

参考文献・出典

維基文庫(Wikisource)
Wikipedia
中國哲學書電子化計劃(CText)
コトバンク
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