魏略とは|成立・構成と史料として読む注意点(倭の記事を読むために)

散逸した『魏略』逸文の読み方と邪馬台国研究での位置づけを整理。

魏略ぎりゃくは、三国時代の魏を中心にまとめられたとされる歴史書で、現在は全文が残っていない「逸書」です。
邪馬台国研究では、倭に触れる断片(逸文)が複数の文献に“引用のかたち”で残るため、魏志倭人伝の周辺情報を点検する補助線として参照されます。
ただし、私たちが読めるのは「魏略そのもの」ではなく、注釈・類書・引用文脈を通過した断片です。

この記事では、魏略をどの距離感で使うべきか(主軸/補助)、そして混ぜてはいけない“層”の線引きを整理します。

この記事で分かること
  • 魏略の基本データ(成立の見取り図/現存形態/どこから読めるか)
  • 逸文を読むときの注意点(本文/注/引用の層、要約・省略・字形揺れ)
  • 邪馬台国研究で参照される「論点の場所」(比較せず、地図だけ作る)
目次

魏略とは

魏略は、三国時代の魏をめぐる叙述を含むとされる史書で、現代では“全文の通読”ができません。
そのため、研究や解説で扱う際は「魏略の逸文(どの文献の、どの注・どの引用か)」として整理して読むのが基本になります。

基本データ

成立・編者
著者魚豢ぎょかん撰とされる(ただし著者情報は多くが断片的)
成立年三国時代(魏)周辺

『三国志』賈逵伝の注釈にて「甘露2年(257年)」の記載があり、これが現状見つかっている魏略の最新記事であるため、257年より後に成立していると思われます。

魏略云 甘露二年 車駕東征 (以下省略・・・)

『三国志』巻15 魏志 劉司馬梁張温賈傳 賈

280~297年成立とされる三国志(魏志倭人伝)よりも、魏略の方が早く完成している可能性が高いとされます。魏志倭人伝では魏略を引用したと思われる記述もあります。
ただし魚豢の生没年は不詳で、魏略と三国志は同時期に編纂していたとする説もあります。

構成(巻立て)

篇立ては伝える文献により揺れがあります。

現存形態

全文は散逸。
裴松之注(『三国志』注)や、後世の注釈・類書などに「魏略曰…」として断片が残っています。

「魏略本文」ではなく、(A)引用元の本文(B)注釈者の注(C)注の中の引用(=魏略逸文)を分けて読みます

謎の人物 – 魚豢

魚豢は、ほとんど何も分かっていない謎の人物です。
『三国志』には以下のような記述が残っています。

典略曰 余曩聞劉荊州甞自作書欲與孫伯符(以下省略・・・)

『三国志』巻52 呉志 第7 張昭傳

諸説ありますが、魏略は典略という書物の一部だったと推測されています。
つまり、典略も魚豢が著者である可能性が高いのです。

魚豢が典略の著者だった場合、西暦142~208年に生きていた劉表の話を聞いたと記載しているため、劉表とほぼ同時代の人物と考えられます。
この一文は直接聞いたという意味で、魚豢は劉表と会ったことがあるとする説もあります。

邪馬台国研究で参照される理由

魏略は、倭(倭人・倭国)に触れる逸文が複数残るため、行程・地名・制度・風俗を点検する材料として参照されます。
ただし逸文は、引用者が「必要な部分だけを抜き出す/要約する」こともあり、魏略の叙述全体の意図や前後関係は復元できない場合があります。

有名なのは、倭の年の数え方をめぐる有名な一節。
一方で、引用者が必要部を抜き取っている以上、これ“だけ”で結論を固定しないことが重要です。

其俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀

『三国志』巻30 魏志 烏丸鮮卑東夷伝 倭人条 裴松之注

史料として読むときの注意点

「魏略そのもの」ではなく“引用の断片”だと最初に決める

魏略は散逸しているため、私たちが実際に参照できるのは「Aという文献が、Bという注の中で、魏略をこう引いた」という形です。
この前提を落とすと、引用者側の要約・編集・字形統一まで「魏略の主張」だと誤認しやすくなります。

本文/注/注中引用(逸文)の“層”を混ぜない

邪馬台国研究で重要になるのは、「どの層の文言か」を見分けることです。
たとえば『漢書』の地理志本文は前漢を扱う一方、注の中で後代の情報(帯方・魏略など)が持ち込まれます。
この場合、「本文(前漢)→注(後代)→注中引用(さらに別史料)」という順に、根拠の階層が深くなる点を意識します。

逸文は“必要部分の抜粋”になりやすい(省略・要約の可能性)

引用者は、元の文章を丸ごと映すよりも、論点に必要な部分だけ抜き出すことがあります。
その結果、主語の省略、地名の省略、前後関係の切断が起こりやすく、文脈の復元に無理が出ます。
「短いから確実」ではなく、「短い=編集されている可能性が高い」と見ておく方が安全です。

里程・行程・地名は“直ちに地図化しない”

魏略逸文は、行程(海を渡る・千里・万二千余里等)や地名(島名・国名・官名)に触れることがあり、地図に落としたくなります。
ただし、数値は概数表現である場合や、引用の段階で欠落している場合もあり、単発の数字だけで確定的に描くと破綻します。
地図化は「どの逸文が、どの文献に、どんな形で残るか」を揃えてから行うのが無難です。

「輯本(逸文集成)」と「現存箇所(一次の引用元)」を区別する

近代以降、魏略の逸文を集めて再編集した“輯本”があります。輯本は便利ですが、編集方針や採録の範囲で内容が変わり得ます。
したがって、検証するときは「輯本で読める形」だけでなく、可能な限り「どの文献のどの箇所に引用されているか」へ戻る導線を残します。

関連史料との関係

主軸

邪馬台国研究での主軸は、基本的に正史・列伝類(いわゆる倭人伝系)です。
魏略は、そこへ直接代替できるタイプではなく、用例確認や周辺認識の補助線として位置づけるのが無難です。

補助

魏略は、『三国志』『後漢書』『翰苑』などに引用されていて、外交記事・行程・制度の“骨格”を補強する材料になります。
さらにその骨格の周辺(風俗・語義・補足行程など)を点検する“補助線”的な扱いも可能です。

魏略の情報は「どの引用経路か(裴注/類書/注釈)」を添えて扱うと、混線しにくくなります。

論点マップ

魏略逸文の「出典経路」問題

どの文献の、どの注・どの引用として残るかで、編集・省略のリスクが変わります。

行程・里程(万二千余里/千余里等)の読み

数値が“実測”か“概数”か、また引用で欠落していないかが論点になります。

暦・年紀(春耕秋収/四節)の解釈

暦法理解の有無、年の数え方の示唆など、後の議論の入口になります。

倭人の由来・系譜(伝承的説明の扱い)

“出自伝承”が史実記録なのか、自己称・伝聞・類型表現なのかが論点になります。

「輯本」依存のリスク(採録範囲・校訂・字形)

逸文集成は便利ですが、元の引用箇所へ戻れない形だと検証が止まります。

FAQ

魏略は正史ですか?

一般に“正史(官方の正史)”としての位置づけとは別に扱われることが多く、少なくとも現代の読者が触れるのは「散逸後に残った逸文」です。まずは“引用の断片”として読む前提を置くのが安全です。

魏略の原文はどこで読めますか?

全文は残っていないため、「裴松之注に引かれる箇所」や「類書・注釈書に残る引用」を辿る形になります。輯本もありますが、可能なら引用元(どの文献のどこか)へ戻れる形で確認してください。

魏志倭人伝と魏略は、どちらを優先すべきですか?

骨格(行程・外交・制度)を立てる主軸は魏志倭人伝側に置き、魏略は周辺の点検(語義・補足・異文確認)に回すのが混線しにくい使い方です。

参考文献・出典

Wikipedia
University of Washington
Chinese Notes
  • ページ名:Records of the Three Kingdoms 三國志
  • URL:https://chinesenotes.com/sanguozhi.html
  • 用途:『三国志(陳寿)+裴松之注』という枠組みの確認
  • 閲覧日:2025-12-28(JST)
大阪学院大学 OPAC公開PDF
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