【南史】倭/倭国(倭の五王・周辺諸国)|原文・現代語訳・解説

『南史』卷79「夷貊下」東夷・倭国条の原文を掲出し、試訳と読みの分岐点を整理。倭王讚〜武(倭の五王)記事も扱います。

『南史』卷79「夷貊下」東夷・倭国条のうち、倭国の風土説明と、倭王讚〜武(いわゆる倭の五王)に触れる部分を掲出します。
原文は、字形を繁体に寄せ、句読点を付けずに区切って掲出します(原文確認のための整形です)。

本文から確実に言えるのは、史料が何を述べるか(来朝・官号・上表文・周辺国の描写など)までで、地名比定や実在性の結論はここでは固定しません。
後半の侏儒国・文身国・大漢国などは「周辺世界の描き方」を示す付記で、どこまでを事実記述として受け取るかが論点になりやすい部分です。

『南史』全体の読み方は、解説記事も参照してください。

目次

原文

字形方針:繁体に寄せます。
整形方針:句読点は付けず、区切りは全角スペースで入れています(原文確認のための整形です)。

『南史』卷79 列傳第69 夷貊下 東夷・倭國(風土・産物・法)

倭國 其先所出及所在 事詳北史
其官有伊支馬 次曰彌馬獲支 次曰奴往鞮
人種禾稻紵麻 蠶桑織績 有薑桂橘椒蘇
出黑雉真珠青玉
有獸如牛名山鼠 又有大虵吞此獸
虵皮堅不可斫 其上有孔 乍開乍閉 時或有光 射中而虵則死矣
物產略與儋耳朱崖同
地氣溫暖 風俗不淫 男女皆露䯰
富貴者以錦繡雜采為帽 似中國胡公頭
食飲用籩豆
其死有棺無槨 封土作塚
人性皆嗜酒 俗不知正歲
多壽考 或至八九十 或至百歲
其俗女多男少 貴者至四五妻 賤者猶至兩三妻
婦人不媱妒 無盗竊 少諍訟
若犯法 輕者沒其妻子 重則滅其宗族

『南史』卷79 列傳第69 夷貊下 東夷・倭國

『南史』卷79 列傳第69 夷貊下 東夷・倭國(来朝記事・官号・上表)

晉安帝時 有倭王讚遣使朝貢
及宋武帝永初二年 詔曰 倭讚逺誠宜甄 可賜除授
文帝元嘉二年 讚又遣司馬曹達奉表獻方物
讚死 弟珍立 遣使貢獻
自稱使持節 都督倭百濟新羅任那秦韓慕韓六國諸軍事 安東大將軍 倭國王 表求除正
詔除安東將軍 倭國王
珍又求除正倭洧等十三人 平西征虜冠軍輔國將軍等號 詔並聽之
二十年 倭國王濟遣使奉獻 復以為安東將軍 倭國王
二十八年 加使持節 都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事 安東將軍如故 并除所上二十三人職
濟死 世子興遣使貢獻
孝武大明六年 詔授興安東將軍 倭國王
興死 弟武立
自稱使持節 都督倭百濟新羅任那加羅秦韓慕韓七國諸軍事 安東大将軍 倭國王
順帝昇明二年 遣使上表 言
自昔祖禰 躬擐甲胄 跋涉山川 不遑寧處
東征毛人五十五國 西服衆夷六十六國 陵平海北九十五國
王道融泰 廓土遐畿 累葉朝宗 不愆于歳
道逕百濟 裝飾船舫 而句麗無道 圖欲見吞
臣亡考濟方欲大舉 奄喪父兄 使垂成之功 不獲一簣
今欲練兵申父兄之志 竊自假開府儀同三司
其餘咸各假授 以勸忠節
詔除武使持節 都督倭新羅任那秦韓慕韓六國諸軍事 安東大將軍 倭王
齊建元中 除武持節 都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事 鎮東大將軍
梁武帝即位 進武號征東大將軍

『南史』卷79 列傳第69 夷貊下 東夷・倭國

『南史』卷79 列傳第69 夷貊下 東夷・倭國(周辺諸国の付記)

其南有侏儒國 人長四尺
又南有黑齒國 裸國 去倭四千餘里 船行可一年至
又西南萬里有海人 身黒眼白 裸而醜 其肉羙 行者或射而食之

文身國在倭東北七千餘里
人體有文如獸 其頟上有三文 文直者貴 文小者賤
土俗歡樂 物豐而賤 行客不齎糧
有屋宇 無城郭
國王所居 飾以金銀珍麗
繞屋為壍 廣一丈 實以水銀 雨則流于水銀之上
市用珍寳
犯輕罪者則鞭杖 犯死罪則置猛獸食之
有枉則獸避而不食 經宿則赦之

大漢國在文身國東五千餘里
無兵戈 不攻戰
風俗並與文身國同 而言語異

『南史』卷79 列傳第69 夷貊下 東夷・倭國

現代語訳(試訳)

※本現代語訳は、語義・文脈にもとづく試訳です。語句の切り方や含意には複数の読みがあり得ます(特定説に偏らないよう配慮しています)。
※官号・固有名詞は、意味の言い換えよりも「原文の語」を残す方針で訳します。

風土・産物・法(試訳)

倭国について、その出自や所在は『北史』に詳しいという。官には伊支馬があり、その次を彌馬獲支、さらに次を奴往鞮という。
人びとは禾(粟)・稲・苧(からむし)・麻を植え、蚕を飼い、桑を育てて糸をつむぎ織る。薑・桂・橘・椒・蘇といった香辛の類がある。
黒雉・真珠・青玉を産する。牛に似た「山鼠」という獣がいて、大蛇がこれを呑む。蛇の皮は固く切れず、背に孔があり開閉し、ときに光を放つが、そこを射抜くと蛇は死ぬという。
産物はおおむね儋耳・朱崖に似る。気候は温暖で、風俗は淫らではない。男女とも髪を結わず、富貴な者は錦繍や彩色を交えた帽子をかぶり、中国の胡公頭に似る。飲食には籩豆を用いる。
死者には棺があって槨はなく、土を盛って塚とする。人は酒を好み、正月(正歳)を知らぬ風習で、長寿の者が多く、八、九十に至る者もあれば百歳に至る者もある。女が多く男が少なく、身分の高い者は四、五人の妻をもち、賤しい者でも二、三人の妻をもつ。婦人は淫らでも妬み深くもなく、盗みはなく、争いと訴訟が少ない。罪を犯せば、軽ければ妻子を没し、重ければ宗族を滅ぼす。

来朝記事・官号・上表(試訳)

晋の安帝の時、倭王の讚が使者を送って朝貢した。宋の武帝の永初2年、詔して「倭の讚の遠い誠意は選び取って与えるに足る。官を賜って任じよ」とした。文帝の元嘉2年、讚はさらに司馬の曹達を遣わし、表を奉って方物を献じた。
讚が死に、弟の珍が立って使者を遣わし、貢献した。珍は自ら「使持節、都督(倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓)六国諸軍事、安東大将軍、倭国王」と称し、これらの官号の“除正(正式な授与)”を求めた。詔により、安東将軍・倭国王に任じた。
珍はまた、倭洧ら十三人に平西・征虜・冠軍・輔国将軍などの号を正式に授けるよう求め、詔してこれを許した。元嘉20年、倭国王の済が使者を遣わして奉献し、改めて安東将軍・倭国王とした。元嘉28年、使持節を加え、都督(倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓)六国諸軍事とし、安東将軍は以前のままとした。あわせて、上申した二十三人の職を授けた。
済が死に、世子の興が使者を遣わして貢献した。孝武帝の大明6年、詔して興を安東将軍・倭国王に任じた。興が死に、弟の武が立つ。武は自ら「使持節、都督(倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓)七国諸軍事、安東大将軍、倭国王」と称した。
順帝の昇明2年、使者を遣わして上表し、おおむね次のように述べた――「昔より祖先はみずから甲冑をまとい、山川を踏破して休む暇がなかった。東は毛人55国を征し、西は衆夷66国を服し、海北95国を平定した。王道は和らぎ、領域は遠方に及び、累代にわたり朝貢して年を違えなかった。道は百済を経るが、句麗は無道で呑み込もうとする。亡父の済は大挙しようとして父兄に不慮があり、成りかけた功は完成しなかった。いま兵を練り、父兄の志を継ぎたい。ひそかに自ら開府儀同三司を仮に称し、他もそれぞれ仮授して忠節を励ましたい」。
詔して、武を「使持節、都督(倭・新羅・任那・秦韓・慕韓)六国諸軍事、安東大将軍、倭王」とした。斉の建元年間には、武を「持節、都督(倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓)六国諸軍事、鎮東大将軍」とし、梁の武帝が即位すると、武の号を征東大将軍に進めた。

周辺諸国の付記(試訳)

倭の南に侏儒国があり、人の背丈は四尺であるという。さらに南に黒歯国・裸国があり、倭から四千余里で、船で行けば一年ほどで至るという。さらに西南に一万里のところに海人がいて、身は黒く目は白く、裸で醜いが、その肉はうまく、行く者が射て食べることがあるという。
文身国は倭の東北七千余里にあり、人の体に獣のような文(入墨)がある。額には三つの文があり、まっすぐな文の者は貴く、小さな文の者は賤しい。風俗は楽しげで、物は豊かで安く、旅人は食糧を携えないという。屋宇はあるが城郭はない。国王の居所は金銀で飾られ、屋の周りに塹をめぐらし、幅一丈で水銀を満たし、雨が降ると水銀の上を流れるという。市場では珍宝を用い、軽罪は鞭打ち、死罪は猛獣に食わせる。冤(まちがい)があれば獣は避けて食わず、一夜たてば赦すという。
大漢国は文身国の東五千余里にあり、兵戈はなく攻戦せず、風俗は文身国と同じだが言語が異なるという。

史料解説

事実(本文から言えること)

この条は大きく、(1)倭国の風土・産物・社会・法の説明、(2)来朝(朝貢)と官号授与・上表文の引用、(3)周辺諸国の付記、の三層で構成されています。
官号のくだりには「自稱(自ら称する)」と「詟除(詔によって任じる)」が並び、史料が“自己称号”と“王朝側の授与”を区別して書いていることが読み取れます。
上表文は引用として掲げられており、本文はその内容(何を言ったか)を記録しますが、主張の真偽・誇張の程度は別の論点として残ります。
周辺諸国(侏儒国・文身国・大漢国など)は、地理記事というより「周縁世界の語り」の一部として付されているため、どこまでを地理情報として扱うかが注意点になります。

読みの分岐点(どこで解釈が割れやすいか)

「風俗不淫」「婦人不媱妒」などの評価語は、何を基準に“淫”や“妒”を語っているのか(叙述者の価値判断の射程)が分岐点です。

官号列(都督○○諸軍事など)は、
(a)倭側の自己主張として読むのか、
(b)王朝側が認めた範囲として読むのか、
本文内の「自稱/詔除」の扱いで読みが割れます。

上表文の戦功数(毛人55国/衆夷66国/海北95国)や軍勢表現は、記録された“言い方”として押さえるのか、実数の報告として扱うのかが分岐点です。
周辺諸国の描写(塹に水銀、猛獣裁判など)は、伝聞譚としての性格が強く見える箇所で、史料としての取り扱い(伝聞層の切り分け)が分岐点になります。
同じ時代の倭王来朝・官号・上表文が見える史料として、〖宋書〗〖梁書〗〖南斉書〗があり、語の置き方や“分岐点”の位置確認に使えます。

注意点(注の混入・底本差・語形揺れなど)

本文冒頭に「事詳北史」とあり、編纂段階で参照・抜き書きが想定される箇所です。
字形は底本差が出やすく、たとえば人名(讚/贊など)や用語(虵/蛇など)は、照合の上で扱う必要があります。
原文掲出は“原文確認のための整形”であり、ここで区切った単位が、必ずしも原史料の句切れ(読み下しの単位)と一致するとは限りません。
周辺諸国の段は、地理情報としての精査より、叙述の層(伝聞・奇譚)を意識して読む方が安全です。

論点メモ

官号の列挙は「自稱」と「詔除」の二段で読めるため、どの語を“授与”とみなすかが分岐点になります。

「不淫」「不媱妒」など評価語は、叙述者の規範(何を“淫”とするか)を問う論点として残ります。

上表文の戦功数は、事実認定よりも「どう語ったか」の把握が先で、史料の使い方が分かれます。

周辺諸国(文身国・大漢国など)は、地理記事として読むか、奇譚・伝聞層として読むかで扱いが変わります。

出典

維基文庫
国立国会図書館(NDLサーチ)
国立公文書館デジタルアーカイブ
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