【梁書】倭/倭国(祁馬臺國・邪馬台国)|原文・現代語訳・解説

梁書巻54「諸夷」倭条を原文・試訳で確認。帯方から祁馬臺國までの行程、官名、風俗、卑彌呼〜五王要約の論点を整理。

本ページは『梁書』巻54(列傳第48「諸夷」)のうち、倭に関する本文(行程・祁馬臺國=倭王所居・風俗)と、同条に続く卑彌呼〜「倭の五王」相当の叙述をまとめて扱います。
確実に言えるのは、「何が書かれているか」(距離・行程の列挙、官名、風俗、来歴の要約)までで、地名の比定や数値の精度は本文だけでは確定しません。
とくに行程は、省略・脱落・要約の可能性が常に付きまとうため、“どこで読みが分岐しうるか”を先に意識して読むのが安全です。

『梁書』全体の成立事情や「どこまでを事実として扱うか」の線引きは、親記事(史料解説)も参照してください。

この記事で分かること
  • 梁書巻54「諸夷」倭条のうち、帯方から祁馬臺國(倭王所居)までの行程と、倭の官名・風俗の本文を原文と試訳で確認できます
  • 卑彌呼〜臺與、さらに「倭の五王」相当の要約叙述が、どこで読みの分岐点になりやすいかを整理します
目次

原文

字形方針:繁体に統一します。
整形方針:句読点は付けず、区切りは全角スペースで入れています(原文確認のための整形です)。

(前段)倭に近い国の説明(本文)

號所治城曰固麻 謂邑曰簷魯 如中國之言郡縣也
其國有二十二簷魯 皆以子弟宗族分據之
其人形長 衣服凈潔 其國近倭 頗有文身者

『梁書』巻54 列傳第48「諸夷」(海南諸國/東夷/西北諸戎)

倭(風俗・出自/距離・行程/官名)

倭者自云太伯之後俗皆文身

去帶方萬二千餘里 大抵在會稽之東 相去絕遠
從帶方至倭 循海水行 歷韓國 乍東乍南 七千餘里始度一海
海闊千餘里 名瀚海 至一支國
又度一海千餘里 名未盧國
又東南陸行五百里 至伊都國
又東南行百里 至奴國
又東行百里 至不彌國
又南水行二十日 至投馬國
又南水行十日 陸行一月日 至祁馬臺國 即倭王所居
其官有伊支馬 次曰彌馬獲支 次曰奴往鞮

『梁書』巻54 列傳第48「諸夷」(海南諸國/東夷/西北諸戎)

倭(物産・気候/服飾・葬送/寿命・婚姻/刑罰)

民種禾稻籥麻 蠶桑織績
有姜 桂 橘 椒 蘇 出黑雉 真珠 青玉
有獸如牛 名山鼠
又有大蛇吞此獸 蛇皮堅不可斫 其上有孔 乍開乍閉 時或有光 射之中 蛇則死矣
物產略與儋耳 朱崖同 地溫暖 風俗不淫 男女皆露紒

富貴者以錦繡雜采為帽 似中國胡公頭 食飲用籩豆
其死 有棺無槨 封土作塚 人性皆嗜酒
俗不知正歲 多壽考 多至八九十 或至百歲
其俗女多男少 貴者至四五妻 賤者猶兩三妻
婦人無淫妒 無盜竊 少諍訟 若犯法 輕者沒其妻子 重則滅其宗族

『梁書』巻54 列傳第48「諸夷」(海南諸國/東夷/西北諸戎)

倭(卑彌呼〜後代の要約)

漢靈帝光和中 倭國亂 相攻伐歷年 乃共立一女子卑彌呼為王 彌呼無夫婿 挾鬼道 能惑眾 故國人立之
有男弟佐治國 自為王 少有見者 以婢千人自侍 唯使一男子出入傳教令 所處宮室 常有兵守衛
至魏景初三年 公孫淵誅後 卑彌呼始遣使朝貢 魏以為親魏王 假金印紫綬
正始中 卑彌呼死 更立男王 國中不服 更相誅殺 復立卑彌呼宗女臺與為王
其後復立男王 並受中國爵命
晉安帝時 有倭王贊 贊死 立弟彌 彌死 立子濟 濟死 立子興 興死 立弟武
齊建元中 除武持節 督倭 新羅 任那 伽羅 秦韓 慕韓六國諸軍事 鎮東大將軍
高祖即位 進武號征東將軍

『梁書』巻54 列傳第48「諸夷」(海南諸國/東夷/西北諸戎)

現代語訳(試訳)

本現代語訳は、語義・文脈にもとづく試訳です。
語句の区切り方や含意には複数の読みがあり得るため、特定説に寄せないよう配慮しています。

(前段)倭に近い国の説明(試訳)

統治の中心となる城を「固麻」と呼ぶ。邑は「簷魯」といい、中国でいう郡県のようなものだ。
この国には二十二の簷魯があり、いずれも子弟や宗族が分かれて、それぞれを占めている。
人は背が高く、衣服は清潔である。この国は倭に近く、文身(入れ墨)をする者も少なくない。

倭(風俗・出自/距離・行程/官名)(試訳)

倭は、自分たちは太伯の後裔だと言い、風俗として皆が文身する。

帯方から一万二千余里離れており、おおむね会稽の東にあって、隔たりは非常に遠い。
帯方から倭に至るには、海沿いの水路を行き、韓国を経る。東へ向かったり南へ向かったりしながら七千余里進んで、はじめて一つの海を渡る。
その海は千余里の広さで、「瀚海」と名づけられている。渡って一支国に至る。
さらにもう一つの海を千余里渡って、未盧国に至る。
そこから東南へ陸行五百里で伊都国に至る。
さらに東南へ百里で奴国に至る。
さらに東へ百里で不弥国に至る。
そこから南へ水行二十日で投馬国に至る。
さらに南へ水行十日、(そののち)陸行一月ほどで祁馬臺國に至る。ここが倭王の居るところである。

その官には伊支馬があり、次いで彌馬獲支、次いで奴往鞮という。

倭(物産・気候/服飾・葬送/寿命・婚姻/刑罰)(試訳)

民は禾・稲や籥麻を植え、蚕桑を営んで織り成す。
生産物として、姜・桂・橘・椒・蘇があり、黒雉・真珠・青玉も出る。
牛のような獣がいて、名を山鼠という。
また大蛇がいてこの獣を呑む。蛇の皮は堅く、切りつけても斬れない。その上に孔があり、開いたり閉じたりする。時に光が出ることがあり、その孔を射れば、蛇は死ぬという。
物産はおおむね儋耳・朱崖と似ている。地は温暖で、風俗はみだらではない。男女はみな髪を結い上げたまま露出している。

富貴な者は錦繍や雑色の布で帽を作り、中国の胡公頭に似ている。飲食には籩豆を用いる。
死者には棺があるが槨はなく、土を盛って塚を作る。人の性はみな酒を好む。
風俗として正歳(年の正しい始まり)を知らず、長寿の者が多い。八、九十に至る者が多く、百歳に至る者もいる。
その習俗は女が多く男が少ない。貴い者は四、五人の妻を持ち、賤しい者でも二、三人の妻を持つ。
婦人は不貞や嫉妬がないという。盗みはなく、争いも訴訟も少ない。もし法を犯せば、軽い場合は妻子を没し、重い場合は一族を滅ぼす。

倭(卑彌呼〜後代の要約)(試訳)

漢の霊帝の光和年間に倭国が乱れ、互いに攻め合うことが年を経た。そこで共に一人の女子、卑彌呼を立てて王とした。卑彌呼には夫がなく、鬼道を用いてよく人々を惑わせたので、国人はこれを立てた。
男弟がいて国政を助けた。卑彌呼は自ら王であるとして、姿を見せることが少ない。侍女千人を従え、ただ一人の男だけが出入りして教令を伝える。居所の宮室には常に兵がいて守衛する。
魏の景初三年、公孫淵が誅されたのち、卑彌呼ははじめて使者を遣わして朝貢した。魏は卑彌呼を親魏王とし、金印と紫綬を仮に与えたという。
正始年間、卑彌呼が死ぬと男王を立てたが、国中は服さず、互いに誅殺し合った。そこで卑彌呼の宗女である臺與を立てて王とした。
その後また男王を立て、いずれも中国の爵命を受けたと述べる。
晋の安帝の時に倭王の贊がいて、贊が死ぬと弟の彌が立ち、彌が死ぬと子の濟が立つ。濟が死ぬと子の興が立ち、興が死ぬと弟の武が立つ。
斉の建元年間、武に対して、持節し、倭・新羅・任那・伽羅・秦韓・慕韓の六国の諸軍事を督し、鎮東大将軍とする官号を授けた。
(梁の)高祖が即位すると、さらに武の号を征東将軍に進めた、と続く。

史料解説

事実(この箇所の本文から言えること)

この箇所は、倭について「自称する出自」「帯方からの距離」「帯方→倭王所居(祁馬臺國)までの行程」「官名」「物産と風俗」「刑罰」を、一続きの要約として並べています。
また後半では、卑彌呼の擁立から臺與、その後の男王、さらに「贊・彌・濟・興・武」へと至る系譜と、中国側の爵号授与の叙述を、短い連鎖でまとめています。

読みの分岐点(どこで解釈が割れるか)

行程記事は、距離や地名が列挙されるほど“もっともらしく”見えますが、本文だけでは次の点で読みが割れ得ます。

第一に、どこが省略・要約されているか(たとえば「韓国」の範囲や、海路・陸路の切り替えの基準)を、本文は説明しません。

第二に、「陸行一月日」の取り方です。日数の語法・脱字・誤写の可能性まで含め、字面をどこまで精密な工程表として扱うかが分岐点になります。

第三に、後半の卑彌呼〜後代の叙述は、複数時代の出来事が“圧縮”されており、個々の出来事の根拠・出所(どの層の情報か)を本文だけで確定できません。

注意点(混入・底本差・語形揺れ等)

この条は、内容の年代幅が非常に大きい(卑彌呼の時代から、さらに後の王や爵号までを一息で述べる)ため、本文の叙述順=史実の確度順とは限りません。
また、地名・官名・物産名には字形差や同音異字が生じやすい領域が含まれます。原文確認では、同一箇所でも版・データベースにより表記が揺れる可能性を前提に、まず“同じ文脈の同じ語”かどうかを押さえるのが安全です。

論点メモ

  • 「去帶方萬二千餘里」や各行程距離を、実測に近い値として読むのか、概算・伝聞の“枠”として読むのか。
  • 「歷韓國」の「韓国」を、地理的な単一対象として置くのか、広い地域名として幅を残すのか。
  • 「陸行一月日」の語法・字面をどう扱うか(工程の精密化に直結する)。
  • 卑彌呼〜五王の叙述を、どこまで“要約の連鎖”として受け取り、どこから別史料で裏取りするか。

出典

維基文庫
Chinese Text Project(中國哲學書電子化計劃)
  • ページ名:《卷第五十四列传第四十八 诸夷 海南诸国 东夷 西北诸戎》
  • URL:https://ctext.org/wiki.pl?chapter=26343&if=gb&remap=gb
  • 用途:『梁書』卷第五十四列傳第四十八諸夷(「倭者…至祁馬台國…」等)の文言確認
  • 閲覧日:2026-01-25(JST)
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