隋書とは|成立・構成と史料として読む注意点(隋書倭国伝)

隋書(隋書倭国伝)の成立・構成と、卑弥呼記事を読む注意点(成立時期の距離/本文と注の線引き)を整理。関連史料への導線も提示。

隋書ずいしょは、隋(581〜618)の正史で、唐代に勅撰で編まれた史書です。
邪馬台国研究では「倭国(俀国)伝」に卑弥呼や「邪馬台」に触れる記述があるため、参照されることがあります。
ただし、記述対象(3世紀など)と編纂時期(7世紀)の距離があるので、“書かれているから確実”と決め打ちせず、本文と注記を混ぜない読み方が前提になります。

この記事で分かること
  • 隋書の成立・構成(どんな史書で、どこに倭国の記事があるか)
  • 史料として読むときの注意点(成立時期の距離/本文と注の線引き/呼称の揺れ)
  • 関連史料との関係(邪馬台国研究での“主軸/補助”の置き方)
目次

隋書とは

『隋書』は581~618年の中国王朝・隋のことを記述している史料で、倭や卑弥呼に関する記述もあります。
ただし成立時期が時代的に離れているため、邪馬台国論争の史料として使えるかどうかの議論から必要になります。

基本データ

成立・編者
著者魏徴、顔師古ら複数人で編纂(本紀・列伝)
長孫無忌(志)
成立年636年に紀伝(本紀・列伝)が成立
制度史にあたる「志」は656年に整えらている

隋書は、唐の第2代皇帝・太宗の命により編纂されました。
複数人で編纂されているほか、志が後から編入されるなど、他の史料とは少し異なる作り方になっています。

編纂者の一人である顔師古は、漢書の注釈を書いている人物です。

構成(巻立て)

本紀5巻・志30巻・列伝50巻(計85巻)

現存形態

現在よく読まれる版(標点本など)では、本文に句読点が施され、校勘・注記が併載されることがある。

邪馬台国研究で参照される理由

隋書は、隋の時代そのもの(6〜7世紀)の対外情報を多く含む一方で、倭国(俀国)伝の冒頭には、より古い時代(3世紀)の出来事として卑弥呼に触れる叙述が出てきます。
そのため、邪馬台国研究では「卑弥呼像」や「邪馬台」という語形の出現箇所として、参照されることがあります。

主有女子名卑彌呼能以鬼道惑衆於是國人共立爲王

『隋書』巻八十一/列伝第四十六「東夷」—倭国条

史料として読むときの注意点

成立時期の距離を“固定”してから読む

隋書が編まれたのは隋の時代そのものではなく、唐代の編纂です。
つまり、倭国伝に3世紀の出来事が登場しても、それは「3世紀に書かれた記録」ではありません。
まずはこの距離感を固定し、“いつの情報を、いつの人がまとめたのか”を意識すると、読みがぶれにくくなります。

「隋代の外交記事」と「古い伝承」が同じ章に並ぶ

倭国(俀国)伝の中には、隋代の遣使や制度・風俗に関する記述(=当時の一次情報に近い部分)と、より古い時代の叙述が同居します。
この“同居”が、読者の混乱ポイントになりがちです。
どの段落が「隋代の観察・聞き取り」に寄っているのか、どこからが「過去の叙述」なのかを区切って読みます。

本文/注/注中引用を混ぜない(通行本ほど要注意)

現代の標点本・デジタル版では、句読点や校勘、注釈、別史料からの引用が見開きで並ぶことがあります。
史料読解では、本文に“何が書いてあるか”と、注に“どう読まれてきたか”を分けて持つのが基本です。

呼称・音写の揺れを前提にする

隋書では、倭国が「俀国」と書かれるなど、呼称や用字が一定ではありません。
また「邪馬台」のような地名音写も、写本・版による字形の揺れが起こりやすい領域です。
ここは“表記だけで断定しない”が第一。

関連史料との関係

主軸は「邪馬台国の時代(とくに1〜3世紀)の記述に近い史料」で、地理・年代・政治状況などの検討の起点になりやすいものです。
補助は「後世に編集・再構成された情報も含むが、呼称の変化や対外関係の“連続性”を見る補助線として効く史料」です。

主軸

『隋書』は「卑弥呼」や「倭」に触れる一方で、叙述の対象(3世紀の出来事)と編纂時代(隋〜唐初)が離れています。
つまり、邪馬台国研究で“出来事そのもの”を立てるときは、『隋書』を最初の根拠に据えるよりも、より出来事に近い層の史料で骨格を作り、隋書は「後代にどう整理されて語られたか」を確認する位置に置くのが崩れにくいです。

主軸として並べやすいのは、次の三つです。
いずれも「どこまでが本文で、どこからが後代の注・整理なのか」を意識して読むと、根拠の所在が曖昧になりにくくなります。

『三国志(魏志倭人伝)』

女王国・卑弥呼・行程・国名など、論点の材料がまとまって現れる起点

『後漢書』

倭条にまとまった叙述があり、後代編集物としての“層”を踏まえつつ、別系統の記述が出る場所を押さえられる

『魏略』

散逸史料ゆえ断定材料にしにくい反面、「別伝・別聞が“存在する場所”」として、論点の分岐点を見つけやすい

補助

『隋書』を読むときの補助線として有効なのは、3世紀の主軸史料とは別に、「倭/倭国」が後代正史の中でどう積み重ねられていくかを確認できる史料群です。
『隋書』倭国伝は、“それ以前の史料の受け取り方”と“隋代の対外関係の整理”が重なる場所なので、前後の正史に当たっておくと、同じ主題がどの時点でどう言い換えられやすいかを見失いにくくなります。

補助として並べやすいのは、次の三つです。

『晋書』

三国〜西晋を後代(唐代)にまとめた正史。
出来事から距離のある整理であることを前提に、倭関連記事が“どんな枠組みで置かれるか”を確認できる。

『宋書』

南朝宋の正史で、倭関連記事が別の時代相として現れる。

『梁書』

南朝梁の正史。
倭国伝が置かれる枠(列伝・地域観・対外関係の書きぶり)を補助線として見られる。

読み分けポイント

卑弥呼や女王国など「3世紀の出来事」を論じたいときは、まず主軸(『三国志』『後漢書』『魏略』)で“本文から確実に言える範囲”を作り、そのうえで『隋書』を「後代整理の表現」として照らし合わせる、という順番が安全です。

逆に、隋代の対外関係(遣隋使・倭国認識など)を見たいときは『隋書』が前面に出ますが、その場合でも中国側の正史内での連続(晋書→宋書→梁書→隋書)と、(必要なら)日本側の記録を“同列に混ぜずに”並べて確認すると、根拠の層が崩れにくくなります。

論点マップ

卑弥呼記事は“どの層”の情報か

本文の叙述か、後代の整理かを見分ける必要がある。

「邪馬台」表記の扱い

字形・音写の揺れを前提に、用語整理が必要。

倭/俀/日本など呼称の問題

表記の揺れが意味の違いに直結するとは限らない。

隋代の外交記事をどこまで史実扱いするか

記述の型(官制・称号・儀礼)を見て、確実範囲を区切る。

“距離のある史料”を主軸にしないための運用

主軸(近い史料)→補助(後代史料)の順で読む手順自体が論点。

FAQ

隋書の「倭国(俀国)伝」は、邪馬台国の所在地論にどこまで使えますか?

隋書は重要な参照点ですが、所在地論の起点(主軸)に置くより、主軸史料で立てた論点に対して「後代にどう整理されたか」を確認する補助線として扱うのが安全です。

「本文と注を分ける」とは、具体的にどういう作業ですか?

本文=史料本文、注=校勘・注釈・別史料引用(版によっては併載)を指します。まず本文だけで言える範囲を確定し、注は“読みの分岐点”の候補として別枠で扱います。

出典

コトバンク
Chinese Text Project
Wikipedia
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