「東夷(とうい)」「西戎(せいじゅう)」「南蛮(なんばん)」「北狄(ほくてき)」。
古代の中国王朝は、自らを世界の中心(中華)とし、東西南北の周辺諸国にこのような蔑称をつけて見下していました。
しかし、その強烈な中華思想の中で、なぜか「東」の異民族(東夷)だけは少し違った扱いを受けていたことを示す記録が残っています。
『漢書』地理志の一節を紐解きながら、古代中国の異民族観と、それが邪馬台国研究の「悪字論争」にどう結びつくのかを整理します。
- 東夷だけが特別扱い?
中国の正史『漢書』には、四方の異民族のなかで「東夷だけは天性が柔順で他とは違う」という特異な記述がある。 - 褒め言葉の裏にある中華思想
東夷が礼儀正しい理由として「昔、中国の偉人(箕子)が教えに行ったからだ」と記されており、中華文明の優越性を示す文脈を含んでいる。 - 邪馬台国の「悪字論争」への影響
「東夷を評価していたのなら、卑弥呼や邪馬台という漢字に悪意(蔑称)はないはずだ」という、漢字解釈の重要な根拠として引用される。
古代中国王朝の「四夷」思想とは

古代中国王朝は、朝貢してくる国に対しては外交・貿易関係を結ぶ一方で、周辺の異民族全体を「四夷(しい)」や「夷狄(いてき)」と呼び、野蛮な存在として扱う「中国中心主義」の世界観を持っていました。
しかし、1世紀後半に成立した歴史書『漢書』の地理志には、東夷を他の三方(西・南・北)から明確に区別した、注目すべき記述が存在します。
史料:『漢書』地理志が語る東夷の姿
玄菟楽浪 武帝時置 皆朝鮮 濊貉 句麗蛮夷
『漢書』巻28 地理志 燕地条
殷道衰 箕氏去之朝鮮 教其民以礼儀 田蠶織作
可貴哉 仁賢之化也
然東夷天性柔順 異於三方之外
故孔子悼道不行 設浮於海 欲居九夷 有以也夫
【現代語訳】
玄菟郡と楽浪郡は前漢の武帝の時に設置された。いずれも朝鮮・濊貉(わいはく)・句麗の蛮夷の地である。殷の政道が衰えると、箕氏(きし)は朝鮮に去り、その民に礼儀・農耕・養蚕・機織りを教えた。尊ぶべきかな、仁賢の教化よ。
そのため東夷は天性として柔順であり、他の三方(西戎・南蛮・北狄)の外とは異なる。
それゆえ、孔子は世に道が行われないことを嘆き、筏に乗って海に浮かんで(東の)九夷の地に居ようかと言ったが、それには理由があるのだ。

「東夷天性柔順」の背景にあるもの
この記述は、「東夷は従順で礼儀を重んじる」という主張と、その理由(箕子の教化と孔子の言葉)で構成されています。
箕子(きし)の教化と中華の優越感

記述の根拠とされているのが、殷王朝の政治家であった箕子(きし)の伝説です。
殷が滅ぼされた際、箕子が朝鮮へ渡って礼儀や高度な技術(農耕・養蚕)を伝えたとされています(『史記』にも同様の記載があります)。
殷を倒して周を建国した武王が、殷で有能だった箕子を朝鮮に封じたようです。
ただし左遷のようなことではなく、箕氏は”朝鮮半島の政治を任された”とする考えが主流です。
殷の遺民を率いて朝鮮にやってきた箕子は、犯禁八条など朝鮮人の教化策を実施し、理想的な社会を作ったとされています。
ここで注意すべき事実は、漢書が純粋に東夷を褒め称えているわけではないという点です。
「我が国の偉人(箕子)が礼儀を教え込んで感化させた(仁賢之化)からこそ、東夷は素直で良い民になったのだ」という、支配層からの強い優越感(中華思想)が根本にあります。
当時の漢王朝が、楽浪郡などの朝鮮半島支配を正当化するための記述であったとも解釈できます。
孔子の「九夷に居らん」発言(論語の合わせ技)
末尾で引用されているのは、『論語』における孔子の有名な2つのエピソードです。
実は『漢書』の著者は、以下の別々の発言を組み合わせて独自の解釈を行っています。
①
玄菟楽浪 武帝時置 皆朝鮮 濊貉 句麗蛮夷
『論語』公冶長第五の七
殷道衰 箕氏去之朝鮮 教其民以礼儀 田蠶織作
可貴哉 仁賢之化也
然東夷天性柔順 異於三方之外
故孔子悼道不行 設浮於海 欲居九夷 有以也夫
楽浪郡は武帝の時に置かれた蛮夷である。
殷国の政道が衰え、箕氏は朝鮮へ行き、現地民に礼儀などを教えた。
「仁賢の化」は貴ぶべきであるなぁ。
そのため東夷は中国に柔順で、そこが北狄・南蛮・西戎とは異なる。
孔子が道徳的でない政治を遺憾に思って、九夷(東方の多くの夷)に行こうと言った理由だろうか。
これは、「現世を嘆いて逃避する」という意味の乘桴浮海(じょうふふかい)という四字熟語の語源になった孔子の言葉です。
②
子欲居九夷。或曰、陋、如之何。子曰、君子居之、何陋之有。
『論語』子罕第九の十四
孔子が九夷[東方の異民族]の地に住もうとされた。
ある人が「野蛮な所ですが、どうされますか」と尋ねると、孔子は「君子が住めば、どうして野蛮だろうか」と答えられた。
『漢書』は、この「海に出ようとした(①)」ことと「九夷に住もうとした(②)」ことをやや強引に結びつけ、「孔子が東へ行こうとしたのは、東夷が天性として柔順で礼儀を知っていたからだ(有以也夫=それにはちゃんと理由があるのだ)」と結論づけています。
中国最高の聖人である孔子の言葉を、東国の優位性を裏付ける最大の権威として利用しているのです。
邪馬台国研究(悪字論争)への影響
さて、この『漢書』の一節は、邪馬台国研究において非常に重要な論争の根拠としてたびたび引用されます。
それが「漢字の悪字・雅字論争」です。
『魏志倭人伝』には「卑弥呼」や「邪馬台(臺)」など、「卑しい」「邪(よこしま)」といったあまり印象の良くない漢字が使われています。
これに対して、大きく2つの解釈が存在します。
- 悪字説:中国が未開の国(倭)を見下し、意図的に悪い意味の漢字を当てはめた(蔑称である)。
- 単なる当て字説:当時の発音に近い漢字を便宜的に当てはめただけで、字の意味に深い悪意はない。
この「単なる当て字説」を補強する有力な材料として、『漢書』の記述が使われます。
「中国王朝は伝統的に『東夷は柔順で他とは違う(話が通じる)』と評価していたのだから、わざわざ東夷である倭国の女王に、強い悪意を持った蔑称をつけるはずがない」という論理です。
まとめ
史料に記述された「事実」と、そこからの「解釈・仮説」を整理します。
【史料に記述された事実】
- 『漢書』地理志は、東夷が「天性柔順」であり他の三方とは異なると記している。
- その理由として、殷の箕子による教化と、孔子の言葉(論語)を根拠に挙げている。
【事実に基づく解釈と仮説】
- 『漢書』の記述は東夷を相対的に高く評価していますが、それは「中華の文明が教化した結果」という上から目線の世界観の表れでもあります。
- この「東夷への(相対的な)好意」を根拠に、魏志倭人伝の「卑弥呼」や「邪馬台国」に用いられた漢字は意図的な蔑称ではなく、単なる発音の当て字であるとする説が提唱されています。
当時の中国王朝が周辺国をどのような「色眼鏡」で見ていたのかを知ることは、史書に書かれた一文字の裏側を読み解く上で、非常に重要な鍵となります。
参考文献・注釈
史料書誌
| 史料 | 書誌情報 |
|---|---|
| 『漢書』地理志 | 班固撰(1世紀後半成立)。 巻28「地理志 燕地条」に「東夷天性柔順 異於三方之外」の記述を含む。 |
| 『史記』宋微子世家 | 司馬遷撰(紀元前1世紀成立)。箕子の朝鮮への封建を記す。 |
| 『論語』公冶長 | 孔子の「乘桴浮于海」の発言を収録。 |
デジタルアーカイブ
- 魏志倭人伝・紹煕本(宮内庁書陵部蔵):宮内庁書陵部図書寮文庫デジタルアーカイブ
- 魏志倭人伝・紹興本(国立国会図書館蔵):国立国会図書館デジタルコレクション

コメント