中国正史における倭人の最古の記録を持つ『漢書』。
わずか19文字の一文ですが、紀元前後の倭がすでに百余国に分立し、楽浪郡を通じて中国と接触していたことを伝えています。
- 『漢書』地理志は、中国正史における現存最古の倭人の記録。
- わずか19文字で、紀元前後の倭が「百余国」に分かれていたことを伝えている。
- 3世紀の『魏志倭人伝』(三十余国)へと繋がる、邪馬台国研究の出発点となる重要史料。
漢書とは
漢書は、中国の前漢(紀元前206年~紀元後8年)および王莽が建てた「新」の時代(~紀元後23年)について記した歴史書です。
「本紀」12巻・「列伝」70巻・「表」8巻・「志」10巻の合計100巻で構成されています。

倭に関する記述があるのは「志」10巻のうちの地理志(巻28)です。
地理志は前漢の地方行政区画を記す巻で、その中の「燕地条」(燕国・燕州に関する条)に、倭についての現存最古の正史記録が残されています。
ただし、現在読むことができる漢書は、唐代の顔師古(581~645年)がつけた注釈付きのテキストです。
つまり本文は1世紀のものですが、注釈部分は6~7世紀に加えられたという二重構造になっています。
こうした事情から、日本では『漢書地理志』や『漢書地理志燕地条』という名で通っています。
また『後漢書』と区別するために「前漢書」と呼ばれることもあります。

『漢書』の編纂者(班固・班昭)と成立年

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 著者 | 【メイン】班彪(はんぴょう)・班固(はんこ) 【一部】班昭(はんしょう)・馬続(ばぞく,ばしょく) |
| 成立年 | 82年頃(諸説あり) |
| 分類 | 紀伝体・断代史(一つの王朝に区切った歴史書) |
| 底本 | 中央研究院漢籍電子文献 |
漢書は、司馬遷が著した『史記』をベースに、班固がより正確な前漢の歴史書として編纂したものです。
信憑性
『漢書』は中国の正史(二十四史)の中で、『史記』と並んで最高の評価を受けています。
特に「歴史記録としての正確性」が重視されており、断代史として前漢一代に特化しているぶん、記述内容の正確性は『史記』よりも高いと評価する研究者もいます。
ただし注意すべき点もあります。
漢書の主要な編纂者である班固は後漢の人物であり、前漢時代を直接知りません。
また、班固は編纂途中で獄死しており、八表と天文志は妹の班昭と馬続が書き継いで完成させました。
こうした複数人による編纂の経緯から、細部の整合性については慎重な検討が必要です。
『史記』との関係
同じく前漢のことを記述した歴史書として、紀元前90年頃に完成した『史記』があります。
しかし『史記』には、完成時点から前漢が滅びるまでの記述が不足していました。
ほかにも矛盾点や記述の不統一があり、正確性に懸念がある部分もあったとされています。
そこで、司馬遷から班固の妹・班昭へと至る、長大な編纂のドラマが始まります。
司馬遷が『史記』を完成させるが、前漢末期までは未記述。
班彪が『史記』の不足を補うため「後伝」65篇を作成。
子の班固が父の遺志を継ぎ『漢書』を編纂するも、政争に巻き込まれ獄死。
班固の妹・班昭(中国初の女性歴史家)と経学者の馬続が残りの巻を書き継ぎ、ついに完成。
このように『漢書』は、二つの家系と数世代にわたる執念によって生み出された歴史書なのです。
邪馬台国研究における位置づけ
漢書の倭人記事は、中国正史における倭人の現存最古の記録です。
この一文が伝える事実は、邪馬台国論争の「前史」を形成しています。
【19文字の解剖】
- 楽浪海中(地理):楽浪郡(現在の平壌付近)の海の向こうに
- 有倭人(存在):倭人が住んでいる
- 分為百余国(政治状況):百余りの国に分かれており
- 以歳時来献見云(外交):定期的に挨拶(朝貢)にやって来るという
具体的には、紀元前後の段階で倭がすでに百余国に分立し、楽浪郡を経由して定期的に中国と接触していたことを示しています。
邪馬台国は3世紀の魏志に初登場しますが、漢書はそれより200年以上前の倭の姿を伝える、いわば歴史的文脈の出発点です。
研究上とくに注目されるのは「百余国」という数字です。
魏志倭人伝では「三十余国」とされるため、百余国から三十余国への変化は、倭の諸国が統合されていった過程を示すとも解釈されます。
この数字の変化こそが、邪馬台国の成立過程を考えるうえでの重要な参照点になっています。
また、倭の外交が「楽浪」経由であったことは、邪馬台国時代の帯方郡経由の外交ルートの前段階として、地理的基礎を提供しています。
よくある質問(FAQ)
まとめ
漢書は前漢および新の時代の歴史書として、班固を中心に編纂された正史です。
地理志巻28の「燕地条」にある「楽浪海中有倭人、分為百余国、以歳時来献見云」は、中国正史における倭人の現存最古の記録として、邪馬台国研究の出発点に位置づけられます。
わずか19字という短い記述ですが、紀元前後に倭が百余国に分立していたこと、楽浪郡を通じて中国と定期的に接触していたことを伝えており、3世紀の魏志倭人伝に至る歴史的前提を提供しています。




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