『漢書』巻28地理志「燕地条」の倭人記事を収録する。
「楽浪海中有倭人分為百余国以歳時来献見云」のわずか19字と、如淳・臣瓚・顔師古の三者の注釈を含む。
中国正史における倭人の現存最古の記録である。
史料データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | 漢書(かんじょ) |
| 巻・章 | 巻28 地理志 燕地条 |
| 著者 | 班固(はんこ) |
| 成立年 | 1世紀後半(82年頃) |
| 底本 | 中央研究院漢籍電子文献 |
| 参照URL | 漢籍電子文献資料庫 https://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihp/hanji.htm ①「免費使用」をクリック ②「楽浪海中有倭人」で検索 |
| 備考 | 〈〉内は如淳・臣瓚・師古(顔師古)による後代の注釈 |

原文
楽浪海中有倭人分為百餘國以歳時来獻見云
〈如淳曰:如墨委面在帶方東南萬里〉
『漢書』巻28 地理志 燕地条
〈臣瓚曰:倭是國名不謂用墨故謂之委也〉
〈師古曰:如淳云『如墨委面』蓋音委字耳此音非也倭音一戈反今猶有倭國《魏略》云倭在帶方東南大海中依山島為國度海千里復有國皆倭種〉
本文
楽浪の海中に倭人有り、分れて百余国と為る。歳時を以て来たりて献見すと云う。
注釈
如淳注:「墨のごとく面(おもて)を委(ゆだ)ぬ。帯方の東南万里に在り。」
臣瓚注:「倭は是れ国名なり。墨を用うるを謂いて故に之を委と謂うには非ざるなり。」
師古注:「如淳の云う『墨のごとく面を委ぬ』とは、蓋し委の字の音のみ。此の音は非なり。倭の音は一戈反なり。今猶お倭国有り。『魏略』に云う、倭は帯方の東南の大海中に在り、山島に依りて国を為す。海を度ること千里にして復た国有り、皆倭種なり、と。」
語注
| 語句 | 読み | 解説 |
|---|---|---|
| 楽浪 | らくろう | 前漢の武帝が紀元前108年に設置した朝鮮四郡の一つ。 現在の平壌付近に置かれた中国の出先行政機関。 倭との外交接点でもあった。 |
| 倭人 | わじん | 倭に住む人々の総称。 「倭」の語源には矮小の「矮」の仮借説 「やまと」の音写説 単なる民族名の音写説 などがある。 |
| 百餘國 | ひゃくよこく | 後漢書(5世紀成立)も「百余国」と記す。 魏志倭人伝(3世紀)は「今(魏)使者を通じているのは三十国である」と述べる。 |
| 歳時 | さいじ | 毎年の定まった時期・節折り。 定期的な朝貢の往来を指すと考えられる。 |
| 献見 | けんけん | 物を献上して君主に謁見すること。 外交的な朝貢儀礼を示す語。 |
| 云 | うん | 「~と伝えられている」の意。 班固自身の直接的な知見ではなく、先行する官記録等からの伝聞であることを示す。 |
| 如淳 | じょじゅん | 3世紀前半(曹魏時代)の注釈家。 漢書の古い注釈を残した。 |
| 臣瓚 | しんさん | 晋代(3世紀後半〜4世紀初頭)の注釈家。 如淳の解釈に対する反論で知られる。 |
| 師古 | しこ | 顔師古(581〜645年)。 唐の太宗の命を受けて『漢書』に決定版の注をつけた学者。 |
| 帯方 | たいほう | 帯方郡。後漢末~魏晋代に楽浪郡南部を分割して設置された郡。 魏志倭人伝の時代では倭との外交窓口。 |
| 魏略 | ぎりゃく | 3世紀に魚豢(ぎょかん)が著した魏の歴史書。 原書は散逸しており、翰苑や裴松之注などの引用でのみ残る。 |
| 一戈反 | いかはん | 反切(漢字の読みを示す方法)。 「一」の声母と「戈」の韻母を合わせて「ヲ(ワ)」の音を示す。 |
論点
📌 事実として確認できること
- 1世紀後半の中国正史が、倭人が「楽浪海中」にいることを記録した
- 倭人が百余国に分立していたこと、歳時ごとに朝貢(ないし往来)があったことが記されている
- 3世紀(魏)の如淳や晋代の臣瓚、7世紀の顔師古と、複数の時代の注釈家が「倭」の字義と音について議論を残している
- 班固が著した本文はわずか19字で、具体的な国名・地理・人物は一切記されていない
💬 解釈が分かれること
- 「歳時に来献見」の主語と実態
-
「倭人が」来るのか、「倭の諸国(の使者)が」来るのかは文面からは判断できない。
また「以歳時」が定期的な外交(朝貢)を指すのか、商業的な交易の往来を含むのかも不明である。
楽浪郡を通じた間接的な接触であった可能性も高い。 - 「云」の伝聞性と情報源
-
本文末の「云」は、班固自身が直接見聞した情報ではなく、何らかの先行資料から引いたことを示唆する。
前漢代に楽浪郡が記録した官文書が情報源と推測されるが、具体的な出典は不明である。 - 「委面」と「倭」の解釈論争
-
如淳は「倭人=入れ墨をする民族」と理解して「委面」と解釈したが、臣瓚は「倭」は固有の国名であり、字義に引きずられた解釈は誤りだと批判した。
顔師古は臣瓚の立場を支持し、音を「一戈反(ヲの音)」と定めている。
現在の研究でも臣瓚・顔師古説が主流である。 - 「倭」字の語源
-
「矮(小さい)」の仮借とする説、「やまと」の音写とする説、倭人自身の自称の音写とする説などがある。
顔師古が「一戈反」と読ませた音は古代日本語の「ヲ(ワ)」音と対応するとも解釈され、語源問題の手がかりとなっている。
🔍 未解決の仮説・問い
- 「百余国に分かれている」という情報の出典は何か。前漢期(武帝の朝鮮四郡設置以後)に楽浪郡が収集した行政情報であれば、紀元前後の倭の政治状況を反映する貴重なデータとなる。
- 漢書の「百余国」から魏志倭人伝の「三十余国」への変化は何を意味するか。統合が進んだ結果なのか、漢への使者を送った国の数が減ったに過ぎないのか。
- 師古注が引く『魏略』の記述(「倭在帯方東南大海中…」)は、現存する魏略引用(翰苑所引など)と一致するかどうかの比較検討が必要である。


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