南斉書【倭国伝】原文と現代語訳

南斉書巻58列伝第39「倭国伝」の原文・書き下し文・現代語訳。宋書の続きとして、南斉建元元年(479年)に倭王武を鎮東大将軍に改号した記録を収める。

『南斉書』巻58「列伝第39 蛮・東南夷 倭国」を収録する。記述は極めて短く、南朝斉が成立した建元元年(479年)に、倭王武(雄略天皇に比定)が「鎮東大将軍」に昇格した記録のみが記されている。

目次

史料データ

項目内容
書名南斉書(なんせいしょ)
巻・章巻58 列伝第39 蛮・東南夷
著者蕭子顕(しょうしけん)
成立年537年頃(梁代)
分類中国正史・二十四史・紀伝体・断代史
底本ウィキソース(zh.wikisource.org)
参照URLhttps://zh.wikisource.org/wiki/南齊書/卷58

原文・書き下し文・現代語訳

倭國 在帶方東南大海島中 漢末以來 立女王 土俗已見前史
建元元年 進新除使持節 都督倭新羅任那加羅秦韓〔慕韓〕六國諸軍事 安東大將軍 倭王武號為鎮東大將軍

『南齊書』卷58 列傳第39 蠻 東南夷

現存する『南斉書』の原文は「秦韓六國諸軍事」となっており国名が5つしかありませんが、文意と『宋書』の記録から「慕韓」が脱落したものとみなされ、補って読まれるのが一般的です。

倭国は、帯方の東南、大海の島中に在り。漢末以来、女王を立つ。土俗はすでに前史に見えたり。
建元元年、新除(しんじょ)の「使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王」なる武を進めて、号を「鎮東大将軍」と為す。

語注

語句読み解説
帯方たいほう帯方郡のこと。
現在の朝鮮半島中西部に置かれていた中国の郡。
漢末以来立女王かんまついらいじょおうをたつ卑弥呼のこと。
『三国志』魏書東夷伝倭人条などの記述を踏まえている。
建元元年けんげんがんねん
西暦479年
南朝斉が建国した年。
蕭道成が宋の順帝から禅譲を受けて即位した。
新除しんじょ新たに官職に任命されること。
または最近任命されたばかりであることを指す。
六国ろっこく倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓の六国。
前王朝の宋から478年に武が認められた軍事権の範囲。
安東大将軍あんとうたいしょうぐん478年に宋の順帝から武に与えられていた称号。
鎮東大将軍ちんとうたいしょうぐん安東大将軍よりも格上の将軍号。
南斉の建国に伴う恩典として武に与えられた。

この原文に関する論点

📌 確認できる事実

  • 南斉が建国された479年に、倭王武が「鎮東大将軍」に昇格したこと。
  • 『南斉書』の編纂時において、倭国の風俗などの基本情報は「前史(三国志など)を見ればよい」と判断され、大幅に省略されたこと。
  • 倭王武が前王朝の宋末期(478年)に得た「都督六国諸軍事」「安東大将軍」の称号が、斉にもそのまま引き継がれ承認された上で昇格が行われたこと。

💬 解釈が分かれる箇所

「新除」の解釈

前年(478年)に宋から「安東大将軍」を除授されたばかりであることを指すのか、それとも斉の建国に伴い斉から改めて同じ称号を「新しく除授」された上で、直ちに「鎮東大将軍」に進号されたのか。
一般には直近の宋での除授を指すと解されています。

「六国」と「慕韓」の欠落

現存する『南斉書』の原文には「秦韓六國諸軍事」とあり、国名が5つしか挙がっていないのに「六国」とされています。
これは『宋書』で除授された六国のうち「慕韓」の文字が脱落したものと考えられており、現代のテキストでは補って読まれます。

🔍 仮説段階(要注意)

  • 使節派遣の有無:『南斉書』の記述からは、宋から斉への王朝交替期において、倭国から新たな使節が到来(朝貢)したから進号したのか、それとも単に斉の建国を祝う恩典として周辺国の君主に一律に位を上げた(使節の到来を伴わない)のかが明確ではありません。一般的には、建国時の恩典による自動的な昇格とする見方が有力です。
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