『宋書』各帝の本紀(巻5文帝・巻6孝武帝・巻10順帝)に散在する倭国関連記事を収録する。倭の五王それぞれの即位時期・称号の変遷を確認できる。
史料データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | 宋書(そうじょ) |
| 巻・章 | 巻5本紀(文帝)・巻6本紀(孝武帝)・巻10本紀(順帝) |
| 分類 | 中国正史(二十四史のひとつ、紀伝体) |
| 著者 | 沈約(しんやく) |
| 成立年 | 488年(本紀・列伝) |
| 参照URL(巻5) | https://zh.wikisource.org/wiki/宋書/卷5 |
| 参照URL(巻6) | https://zh.wikisource.org/wiki/宋書/卷6 |
| 参照URL(巻10) | https://zh.wikisource.org/wiki/宋書/卷10 |

原文・書き下し文・現代語訳
卷5 本紀第5 文帝(在位:424〜453年)
元嘉七年(430年)
七年春正月……是月倭國王遣使獻方物
『宋書』卷5 本紀第5 文帝
七年(430年)春正月……是の月(正月)、倭国王、使を遣わして方物を献ず。
元嘉十五年(438年)
十五年……夏四月……己巳以倭國王珍為安東將軍
『宋書』卷5 本紀第5 文帝
是歲武都王河南國高麗國倭國扶南國林邑國並遣使獻方物
十五年(438年)……夏四月……己巳(きし)、倭国王・珍(ちん)を安東将軍と為す。
是の歳(とし)、武都王・河南国・高麗国・倭国・扶南国・林邑国、並びに使を遣わして方物を献ず。
元嘉二十年(443年)
是歲河西國高麗國百濟國倭國並遣使獻方物
『宋書』卷5 本紀第5 文帝
是の歳(とし)、河西国・高麗国・百済国・倭国、並びに使を遣わして方物を献ず。
元嘉二十八年(451年)
秋七月甲辰安東將軍倭王倭濟進號安東大將軍
『宋書』卷5 本紀第5 文帝
秋七月甲辰(こうしん)、安東将軍・倭王・倭の済(せい)、号を進めて安東大将軍と為す。
卷6 本紀第6 孝武帝(在位:453〜464年)424〜453年)
大明四年(460年)
大明四年……十二月……倭國遣使獻方物
『宋書』卷6 本紀第6 孝武帝
大明四年(460年)……十二月……倭国、使を遣わして方物を献ず。
大明六年(462年)
大明六年……三月……壬寅以倭國王世子興為安東將軍
『宋書』卷6 本紀第6 孝武帝
大明六年(462年)……三月……壬寅(じんいん)、倭国王世子・興(こう)を安東将軍と為す。
卷10 本紀第10 順帝(在位:477〜479年)
昇明元年(477年)
昇明元年……冬十一月己酉倭國遣使獻方物
『宋書』卷10 本紀第10 順帝
昇明元年(477年)……冬十一月己酉(きゆう)、倭国、使を遣わして方物を献ず。
昇明二年(478年)
昇明二年……五月戊午倭國王武遣使獻方物以武為安東大將軍
『宋書』卷10 本紀第10 順帝
昇明二年(478年)……五月戊午(ぼご)、倭国王・武(ぶ)、使を遣わして方物を献ず。武を安東大将軍と為す。
本紀に登場する倭関連記事の一覧
| 年号 | 西暦 | 倭国王 | 出来事 |
|---|---|---|---|
| 元嘉七年 | 430年 | 讃または珍(諸説あり) | 使者を派遣・方物を献上 |
| 元嘉十五年 | 438年 | 珍 | 安東将軍に任命。同年、使者を派遣 |
| 元嘉二十年 | 443年 | 済 | 使者を派遣・方物を献上 |
| 元嘉二十八年 | 451年 | 済 | 安東将軍から安東大将軍に昇格 |
| 大明四年 | 460年 | 済または興(諸説あり) | 使者を派遣・方物を献上 |
| 大明六年 | 462年 | 興 | 安東将軍に任命(「世子」として) |
| 昇明元年 | 477年 | 武(または前王) | 使者を派遣・方物を献上 |
| 昇明二年 | 478年 | 武 | 使者を派遣・方物を献上。安東大将軍に任命 |
語注
| 語句 | 読み | 解説 |
|---|---|---|
| 安東将軍 安東大将軍 | あんとうしょうぐん あんとうだいしょうぐん | 「東方を鎮める将軍」の意の官職。 南朝宋における外藩の王に授けられた称号のひとつ。 「大将軍」の方が位が上。 |
| 方物 | ほうもつ | 各地の特産物・土産物。 朝貢の際に献上される品物。 |
| 世子 | せいし | 王の嫡男・後継者のこと。 「興」が「世子」として安東将軍に任じられた。 つまり、済の死後まもなく即位したとみられる。 |
| 甲辰 壬寅 己酉 戊午 | こうしん じんいん きゆう ぼご | 干支による日付。 宋の正史では日付を干支で表記する。 |
| 倭王倭濟 | わおうわのせい | 「倭王」が称号。 「倭」が国名(倭国の王であることを示す修飾)。 「濟」が個人名。 この表記様式は宋書本紀の特徴。 |
この原文に関する論点
📌 確認できる事実
- 倭国王の「個人名」(珍・済・興・武)が本紀に記録されている
- 珍・済・武はいずれも「安東(大)将軍」の称号を受けている
- 興は即位時に「世子」(嫡男)として安東将軍に任じられており、父王・済の死後に王となったことがわかる
💬 解釈が分かれる箇所
- 430年の使者が誰の代のものか
-
本紀では王名が記されていない。
列伝(倭国伝)と照合すると讃または珍の代と推定されるが、列伝の記述とは時系列的に整合しない部分もある。あわせて読みたい
宋書【倭国伝(列伝第57)】原文と現代語訳 宋書巻97「東夷・倭国」列伝第57の原文・書き下し文・現代語訳。倭の五王(讃・珍・済・興・武)の外交記録と、倭の国際的地位を示す将軍号・武の上表文全文を収録。 - 460年の使者が済か興か
-
大明六年(462年)に済の「世子・興」が安東将軍に任じられているため、大明四年(460年)の使者は済の晩年か、あるいはすでに興の代かで議論がある。
🔍 仮説段階(要注意)
- 本紀の倭関連記事は「使者派遣・方物献上・称号授与」という定型的な記述が多く、倭の内政や実情は読み取れない
- 倭の使者が本当に毎回王本人の意を受けて来ているのか、実態は不明

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