宋書【本紀の倭関連記事】原文と現代語訳

宋書巻97「東夷・倭国」列伝第57の原文・書き下し文・現代語訳。倭の五王(讃・珍・済・興・武)の外交記録と、倭の国際的地位を示す将軍号・武の上表文全文を収録。

『宋書』各帝の本紀(巻5文帝・巻6孝武帝・巻10順帝)に散在する倭国関連記事を収録する。倭の五王それぞれの即位時期・称号の変遷を確認できる。

目次

史料データ

項目内容
書名宋書(そうじょ)
巻・章巻5本紀(文帝)・巻6本紀(孝武帝)・巻10本紀(順帝)
分類中国正史(二十四史のひとつ、紀伝体)
著者沈約(しんやく)
成立年488年(本紀・列伝)
参照URL(巻5)https://zh.wikisource.org/wiki/宋書/卷5
参照URL(巻6)https://zh.wikisource.org/wiki/宋書/卷6
参照URL(巻10)https://zh.wikisource.org/wiki/宋書/卷10

原文・書き下し文・現代語訳

卷5 本紀第5 文帝(在位:424〜453年)

元嘉七年(430年)

七年春正月……是月倭國王遣使獻方物

『宋書』卷5 本紀第5 文帝

七年(430年)春正月……是の月(正月)、倭国王、使を遣わして方物を献ず。

元嘉十五年(438年)

十五年……夏四月……己巳以倭國王珍為安東將軍
是歲武都王河南國高麗國倭國扶南國林邑國並遣使獻方物

『宋書』卷5 本紀第5 文帝

十五年(438年)……夏四月……己巳(きし)、倭国王・珍(ちん)を安東将軍と為す。
是の歳(とし)、武都王・河南国・高麗国・倭国・扶南国・林邑国、並びに使を遣わして方物を献ず。

元嘉二十年(443年)

是歲河西國高麗國百濟國倭國並遣使獻方物

『宋書』卷5 本紀第5 文帝

是の歳(とし)、河西国・高麗国・百済国・倭国、並びに使を遣わして方物を献ず。

元嘉二十八年(451年)

秋七月甲辰安東將軍倭王倭濟進號安東大將軍

『宋書』卷5 本紀第5 文帝

秋七月甲辰(こうしん)、安東将軍・倭王・倭の済(せい)、号を進めて安東大将軍と為す。

卷6 本紀第6 孝武帝(在位:453〜464年)424〜453年)

大明四年(460年)

大明四年……十二月……倭國遣使獻方物

『宋書』卷6 本紀第6 孝武帝

大明四年(460年)……十二月……倭国、使を遣わして方物を献ず。

大明六年(462年)

大明六年……三月……壬寅以倭國王世子興為安東將軍

『宋書』卷6 本紀第6 孝武帝

大明六年(462年)……三月……壬寅(じんいん)、倭国王世子・興(こう)を安東将軍と為す。

卷10 本紀第10 順帝(在位:477〜479年)

昇明元年(477年)

昇明元年……冬十一月己酉倭國遣使獻方物

『宋書』卷10 本紀第10 順帝

昇明元年(477年)……冬十一月己酉(きゆう)、倭国、使を遣わして方物を献ず。

昇明二年(478年)

昇明二年……五月戊午倭國王武遣使獻方物以武為安東大將軍

『宋書』卷10 本紀第10 順帝

昇明二年(478年)……五月戊午(ぼご)、倭国王・武(ぶ)、使を遣わして方物を献ず。武を安東大将軍と為す。

本紀に登場する倭関連記事の一覧

年号西暦倭国王出来事
元嘉七年430年讃または珍(諸説あり)使者を派遣・方物を献上
元嘉十五年438年安東将軍に任命。同年、使者を派遣
元嘉二十年443年使者を派遣・方物を献上
元嘉二十八年451年安東将軍から安東大将軍に昇格
大明四年460年済または興(諸説あり)使者を派遣・方物を献上
大明六年462年安東将軍に任命(「世子」として)
昇明元年477年武(または前王)使者を派遣・方物を献上
昇明二年478年使者を派遣・方物を献上。安東大将軍に任命

語注

語句読み解説
安東将軍
安東大将軍
あんとうしょうぐん
あんとうだいしょうぐん
「東方を鎮める将軍」の意の官職。
南朝宋における外藩の王に授けられた称号のひとつ。
「大将軍」の方が位が上。
方物ほうもつ各地の特産物・土産物。
朝貢の際に献上される品物。
世子せいし王の嫡男・後継者のこと。
「興」が「世子」として安東将軍に任じられた。
つまり、済の死後まもなく即位したとみられる。
甲辰
壬寅
己酉
戊午
こうしん
じんいん
きゆう
ぼご
干支による日付。
宋の正史では日付を干支で表記する。
倭王倭濟わおうわのせい「倭王」が称号。
「倭」が国名(倭国の王であることを示す修飾)。
「濟」が個人名。
この表記様式は宋書本紀の特徴。

この原文に関する論点

📌 確認できる事実

  • 倭国王の「個人名」(珍・済・興・武)が本紀に記録されている
  • 珍・済・武はいずれも「安東(大)将軍」の称号を受けている
  • 興は即位時に「世子」(嫡男)として安東将軍に任じられており、父王・済の死後に王となったことがわかる

💬 解釈が分かれる箇所

430年の使者が誰の代のものか

本紀では王名が記されていない。
列伝(倭国伝)と照合すると讃または珍の代と推定されるが、列伝の記述とは時系列的に整合しない部分もある。

460年の使者が済か興か

大明六年(462年)に済の「世子・興」が安東将軍に任じられているため、大明四年(460年)の使者は済の晩年か、あるいはすでに興の代かで議論がある。

🔍 仮説段階(要注意)

  • 本紀の倭関連記事は「使者派遣・方物献上・称号授与」という定型的な記述が多く、倭の内政や実情は読み取れない
  • 倭の使者が本当に毎回王本人の意を受けて来ているのか、実態は不明
研究者にシェア!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次