邪馬台国への旅路で、対海国(対馬)の次に登場するのが「一大国(いちだいこく)」です。
「瀚海(かんかい)」と呼ばれる海を渡った先にあるこの島は、朝鮮半島と日本列島本土を結ぶ海上交通の最重要拠点でした。
比定地は現在の「壱岐島(いきのしま)」でほぼ見解が一致しており、古代東アジアの交流の痕跡を色濃く残す、考古学的にも非常にエキサイティングな島です。
- 比定地は「壱岐」でほぼ確定
対馬から海を渡って到達する島であり、邪馬台国の所在地論争に関わらず、現在の長崎県「壱岐」であることで見解が一致している。 - 「一大」は「一支」の書き間違い?
魏志倭人伝では「一大国」だが、他の史料では「一支国(いきこく)」と書かれており、「大」と「支」の字の似た形から生じた魏志の誤写であるとする説が有力。 - 王都「原の辻遺跡」の存在
対馬とは異なり、壱岐には国の特別史跡に指定された巨大な環濠集落「原の辻遺跡」があり、ここが一大国の王都(中心地)であったと特定されている。
「一大国」か「一支国」か(国名の謎)
一大国は、魏志倭人伝をはじめとする史料に登場しますが、史料によって国名の表記が異なっています。
クルエイチ当サイトでは、便宜上魏志倭人伝の表記に沿って「一大国」という表記を中心に使用して解説を進めます。
表記揺れの原因は「大」と「支」の誤写?
現在の「壱岐(いき)」という地名に発音が近いのは、明らかに『魏略』や『梁書』が記す「一支国(いきこく)」の方です。
漢字の「大」と「支」は、草書体などで崩して書かれると非常に形が似ています。
そのため、本来は「一支国」であったものが、『魏志』の成立過程や後世の写本づくりの段階で「一大国」と誤って書き写されてしまった(誤写)とする説が、現在では圧倒的に有力とされています。
魏志倭人伝に記された一大国の姿
1. 行程と大きさ(方可三百里)
魏志倭人伝によれば、対海国から「瀚海」と呼ばれる海を千余里渡ってたどり着く島であり、広さは「三百里」ほどだと記されています。
又南渡一海千余里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里
(また南に一海を度る千余里。名は瀚海という。一大国に至る。官はまた卑狗といい、副は卑奴母離という。広さは三百里ばかり。)
対海国(対馬)の「四百余里」と比べると少し小ぶりです。
現在の壱岐島は南北約17km・東西約14kmで、「三百里」という規模はおおむね壱岐の実際のサイズと整合的だとされています。
また、対馬・壱岐間の海をわざわざ「瀚海(広大な海)」と名付けていることから、この海域の航海が当時の人々にとって非常に険しく印象深かったことが窺えます。
2. 官名(対馬と同じ卑狗・卑奴母離)
一大国の長官は「卑狗(ひこ)」、副官は「卑奴母離(ひなもり)」です。
「官亦曰(また〜という)」とある通り、これは対海国と全く同じ名称です。
これが実際に同じ官職制度をもっていたのか、あるいは「辺境の守備隊長」のような役職名を中国側が便宜的に同じ名で記録したのかは定かではありません。
3. 生活と文化(差有田地)
一大国には竹木の茂みが多く、田地はあるものの耕作だけでは食が足りず、対馬と同様に南北に交易をして生計を立てていたと書かれています。
多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北巿糴
(竹木叢林が多い。三千ばかりの家がある。やや田地はあるが、田を耕してもなお食に足らず、また南北に市糴[交易]している。)
対馬の「良田なし」に対し、一大国には「差有田地(いくらか田地がある)」と記されています。
実際の壱岐島も対馬と比べると平坦な地形が多く、現在でも長崎県内で2番目の広さの平野(深江田原)を持ち稲作が盛んです。
この「対馬よりは少し田んぼがある」という細かな地理的特徴が見事に記録されています。
考古学的情報(特定された王都)
一大国の最大のハイライトは、文献の記録を裏付ける圧倒的なスケールの遺跡が発見されていることです。
- 王都:原の辻(はるのつじ)遺跡(長崎県壱岐市)
-
弥生時代中期〜後期を中心とした巨大な多重環濠集落です。
国内最古級の船着き場跡が発見されているほか、中国の貨幣や鏡、鉄器、そして日本各地の土器が大量に出土しています。
魏志倭人伝が記す「三千許家」の中心地(王都)であったと学界でもほぼ特定されており、全国にわずか数か所しかない国の特別史跡に指定されています。 - 交易拠点:カラカミ遺跡(長崎県壱岐市)
-
原の辻遺跡とは別に、壱岐北部にある集落遺跡です。
ここからは楽浪系土器(朝鮮半島・平壌周辺の土器)や鉄器の製作工房跡が発見されており、帯方郡などの中国大陸・朝鮮半島からの船が直接立ち寄る最前線の交易・工業拠点であったと考えられています。
このように、対馬にはない「王都としての巨大集落」が壱岐に存在していることは、ここが単なる中継地ではなく、独自の力を持った強力な海洋国家であったことを示しています。
結論(比定地)
一大国の比定地は、現在の長崎県「壱岐(いき)」とする説で完全に一致しています。
対馬の次に渡る島として地理的に合致し、「一支(いき)」という発音がそのまま残っている点、そして何より原の辻遺跡という「王都の物証」が存在する点から、邪馬台国ルートにおける最も確実なチェックポイントとして全研究者の間で合意が得られています。
コメント