投馬国(宮崎/出雲/瀬戸内海など)

邪馬台国への旅路で、不弥国から「水行二十日」の先に位置するのが「投馬国(とまこく/とうまこく)」です。
「五万余戸」という途方もない人口を抱え、女王国(邪馬台国)に次ぐナンバー2の規模を持つ超大国として記録されています。

ここまでの対馬〜不弥国の「確実なルート」はここで終わりを告げます。
この投馬国を日本のどこに当てはめるかによって、邪馬台国の位置(九州か畿内か)が決定づけられると言っても過言ではない、論争の最前線となる国です。

【この記事のポイント】
  • 比定地は未確定(論争の的)
    解釈によって、宮崎(都萬)説、出雲説、瀬戸内海(鞆の浦など)説など多数の説に割れており、定説は存在しない。
  • 謎の長距離航海「水行二十日」
    どこを出発点として、どのルートを20日間も船で進んだのかという「読み方(連続読みか放射読みか)」が最大の鍵となる。
  • 邪馬台国に次ぐ「五万余戸」の超大国
    これまでの国とはスケールが桁違いであり、官名も独自の響き(弥弥)に変わるなど、これまでとは異なる大きな文化圏に入ったことを示唆している。
目次

「投馬国」の表記と官名の変化

投馬国の表記は史料間でほぼ共通しています。

史料国名表記備考
魏志倭人伝(紹煕本・紹興本)投馬國3世紀の記録
梁書 / 北史投馬國7世紀の中国正史
クルエイチ

当サイトでは、便宜上「投馬国」という新字体を中心に使用して解説を進めます。なお、『翰苑(魏略の逸文)』には投馬国に関する記述は脱落しています。

「投馬」の読み方については、「トマ」「トウマ」「ツマ」「トバ」「トモ」「ドマ」など、比定地説に合わせて複数の発音説が提唱されています。

官名の変化(ミミとミミナリ)

魏志倭人伝によれば、投馬国の大官は「弥弥(ミミ)」、副官は「弥弥那利(ミミナリ)」と記されています。

官曰弥弥 副曰弥弥那利
(官は弥弥といい、副は弥弥那利という。)

これまでの対海国・一大国・奴国・不弥国で共通していた「卑奴母離(ヒナモリ)」という副官名がここで消え、全く新しい名称が登場します。
「弥弥(ミミ)」や「那利(ナリ)」は、日本の古代史(記紀神話)に登場する建耳麻呂(タケミミマロ)や耳成山(ミミナシヤマ)など、日本古来の由緒ある名前の響きに通じるとも言われています。
いずれにせよ、ここで言語や文化圏がガラリと変わったことを示唆する重要な記述です。

魏志倭人伝に記された投馬国の姿(大きさ・距離)

1. 邪馬台国に次ぐ「五万余戸」

可五万余戸
(五万余戸ばかり。)

投馬国の戸数は「五万余戸」と記されており、旅程に記された国々のなかでは邪馬台国(七万余戸)に次ぐ圧倒的な規模です。
手前の不弥国が「千余家」であったことを考えると、突然巨大な国家勢力圏に突入したことがわかります。

2. 最大のミステリー「水行二十日」

投馬国の位置を決定づけるのが、以下の記述です。

南至投馬國水行二十日
(南、投馬国に至る。水行二十日。)

「どこから出発して」「どのルートを」20日間も航海したのか。
この解釈の立場の違いが、比定地論争そのものです。

  1. 連続読み(不弥国から出発): 前の不弥国からそのまま船に乗り、九州沿岸を南下したとする読み方。
  2. 放射読み(伊都国や帯方郡から出発): 不弥国までの陸路とは別に、外交拠点である伊都国(または帯方郡)を起点として、放射状に日数を計算し直したとする読み方。

考古学的情報と比定地(定説なし)

投馬国は比定地が確定していないため、「ここが投馬国の遺跡だ」と断定することはできません。
しかし、魏志倭人伝の解釈に合わせて、主に以下の3つの地域が有力候補として激しく議論されています。

① 宮崎説(日向・都萬神社説)

  • ルート解釈: 連続読み(九州沿岸を南下)
  • 音の対応: 投馬(ツマ) = 都萬(つま)
  • 概要: 九州説の立場で有力な説です。不弥国から九州の東海岸(または西海岸)を南下し、現在の宮崎県西都市にある「都萬(つま)神社」周辺の古代日向(ひゅうが)勢力圏に比定します。五万余戸という規模にも見合う、日本神話の舞台でもあります。

② 瀬戸内海説(鞆の浦など)

  • ルート解釈: 放射読み(伊都国から東へ水行)
  • 音の対応: 投馬(トモ・トマ) = 鞆(とも)の浦 など
  • 概要: 畿内説(邪馬台国=奈良)の立場で有力な説です。魏の使者が方角を「南」と「東」で間違えたという前提に立ち、瀬戸内海を東へ航行したと解釈します。広島県福山市の「鞆の浦(とものうら)」や、山口県の「但馬(たじま/古くはトマ)」周辺など、吉備・瀬戸内海沿岸の巨大な弥生文化圏に比定します。

③ 出雲説

  • ルート解釈: 伊都国から日本海側を東進(方角の間違いを想定)
  • 音の対応: 投馬(ツモ) = 出雲(いずも/いづも)
  • 概要: 音の響きの近さと、「荒神谷遺跡」などで大量の国宝級青銅器が出土している出雲の強大な勢力を「五万余戸」の大国に当てはめる説です。

その他

この他にも、
・ルートを朝鮮半島南岸沿いと解釈し、済州島(耽羅国)などに比定する
・日本海側を進んで富山県(トヤマ = トウマ)に比定する
などの極端な異説も存在しますが、倭人伝全体の文脈からは外れるためマイナーな説に留まっています。

結論

投馬国の比定地は、全く確定しておらず、邪馬台国の所在地(九州か畿内か)の前提によって見解が180度変わります。

いずれの説をとるにせよ、魏志倭人伝の文字通りに「南」へ行ったのか、当時の中国人の地理的感覚のズレ(日本列島を南に伸びていると勘違いしていた)によって実際は「東」だったのか、という「方角問題」をクリアしなければなりません。

謎だらけの超大国・投馬国を過ぎると、次はいよいよ旅の終着点、女王・卑弥呼の都「邪馬台国」です。

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