仙厓義梵(1750〜1837年、博多聖福寺の住職・禅僧)が1820〜1830年頃に記したとされる掛け軸『志賀島小幅(しかのしまこはば)』の原文と現代語訳です。
天明4年(1784年)に志賀島の叶崎で発見された「漢委奴國王」金印の由来を考察した文書であり、金印当事者ではない第三者による記録です。
「委奴=伊都国」とする江戸時代の先駆的な解釈や、公式記録(口上書)にはない農民・秀治と喜平の名が登場するなど、金印ミステリーを解くための重要なテキストとなっています。
史料データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 資料名 | 志賀島小幅(しかのしまこはば) |
| 著者 | 仙厓義梵(せんがいぎぼん)※推定 |
| 成立年 | 1820〜1830年頃(推定) |
| 形式 | 掛け軸(小幅) |
| 分類 | 江戸時代識別書・考察文書(近世文書) |
| 現存状況 | 侯爵鍋島家(または個人)所蔵。一般公開なし。 |

原文・書き下し文・現代語訳

右印蓋漢之光武
『志賀島小幅』
之時自此方竊到彼
所賜之物乎矮奴者
非和國之謂而怡土之
縣主也三國志可見
已
天明四年丙辰
志賀島農民
秀治
喜平
自叶崎掘出
厓菩薩
右の印は蓋(けだ)し漢の光武の時、此の方より竊(ひそ)かに彼の所に到りて賜わりし物か。矮奴(わぬ)とは和国を謂うに非ずして、怡土(いと)の県主(あがたぬし)なり。三国志に見るべし。已(のみ)。
天明四年丙辰
志賀島農民
秀治
喜平
叶崎より掘り出す
厓菩薩
語注(局所解説)
| 語句 | 読み | 解説 |
|---|---|---|
| 矮奴 | わぬ | 印文の「委奴」を「矮奴」と表記している。 「矮」は背が低いこと、または「倭」と同音・同義で用いられる。 |
| 和國 | わこく | 日本全体のこと。 「矮奴は日本全体を指す国号ではない」と仙厓は主張した。 |
| 怡土 | いと | 現在の福岡県糸島地方一帯。 『魏志倭人伝』の「伊都国」に対応するとされる。 |
| 縣主 | あがたぬし | 古代日本の地方官名(ヤマト王権の地方首長)。 |
| 三國志可見 | さんごくしにみるべし | 『魏志倭人伝』に伊都国の記述があることを指している。 |
| 叶崎 | かなえさき | 志賀島の南西部の地名。金印の発見地点。 現在「金印公園」として整備されている。 |
| 厓菩薩 | がいぼさつ | 仙厓義梵自身が自らを戯れて称した署名とするのが一般的な解釈。 仙厓は書画に「厓」と略して署名することが多かった。 |
| 仙厓義梵 | せんがいぎぼん | 1750〜1837年。博多聖福寺の住職・禅僧・画家。 志賀島小幅を1820〜1830年頃に著したとされる。 |
この原文に関する論点
📌 確認できる事実
- 天明4年(1784年)丙辰年に、志賀島の叶崎から金印が掘り出されたことが記録されている。
- 仙厓義梵が「漢の光武帝が賜与したもの」と推定している。
- 「矮奴(倭奴)は和国ではなく怡土の縣主」という独自の解釈(伊都国説)が記されている。
- 「三国志可見」として『魏志倭人伝』に根拠を求めていることが確認できる。
- 金印の発見者として「農民の秀治・喜平」の名が挙げられている。
💬 解釈が分かれる箇所
- 「丙辰」の解釈
-
天明4年の年の干支は「甲辰(きのえたつ)」であり「丙辰」ではありません。
これを仙厓の単なる勘違い(誤記)とする説と、天明4年内の「日の干支」であるとする説が対立しています。日の干支とすれば、それが「金印発見日」なのか「口上書提出日」なのか、あるいは「仙厓がこの掛け軸を執筆した日」なのか、特定されていません。 - 秀治・喜平と甚兵衛の関係
-
公的な『甚兵衛の口上書』には、発見者として「甚兵衛」とその兄「喜兵衛」が登場します。「喜平」は「喜兵衛」の略称・別称とも考えられますが、「秀治」が誰を指すのか(甚兵衛の別名なのか、実際に金印を掘り当てた真の発見者である小作人なのか)は不明であり、大きな議論を呼んでいます。
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-
江戸時代において、すでに「漢委奴国王」を「かんのわのなのこくおう」ではなく「かんのいとのこくおう」と解釈する伊都国説が存在していたことを示す史料です。この解釈が仙厓独自のものか、当時の福岡藩の学者(亀井南冥など)の間ですでに共有されていたものかは、学術史上の興味深い論点です。
🔍 未解決の仮説・問い
- なぜ公的記録である口上書と、知識人の記録である志賀島小幅で、発見者の名前が異なるのか。
- この掛け軸は本当に仙厓の真筆なのか。なぜ現在は非公開となっているのか。
- 「矮奴」という表記は仙厓が意図的に用いたのか、それとも当時の拓本などから印文をそのように読み間違えたのか。


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