蕭繹職貢図・諸番職貢図巻【倭国使記事】原文と現代語訳

梁の元帝・蕭繹の『職貢図』と清代摹本『諸番職貢図巻』に記された倭国使の記事を掲載。図像資料として倭使の風俗を描写した注記原文・書き下し文・現代語訳と、倭人の文身・貫頭衣・木綿など外見描写の論点を解説。

梁の蕭繹職貢図(宋人摹本残巻)と清代の諸番職貢図巻の倭国使記事を収録する。「木綿帖首・衣横幅無縫」など倭人の服飾記述を含む。

目次

史料データ

蕭繹職貢図(宋人摹本残巻)

項目内容
作品名蕭繹職貢図(宋人摹本残巻)
分類職貢図(絵画史料)
原画者蕭繹(しょうえき、梁の元帝)
摹本時期宋代(1077年頃)
現存状況残巻。一部欠損あり
図像倭国使の図があり

諸番職貢図巻

項目内容
作品名諸番職貢図巻
分類職貢図(絵画史料)
収録書愛日吟廬書画続録 巻5(清・張庚ほか)
時期清代
現存状況画像あり

原文・書き下し文・現代語訳

【蕭繹職貢図:倭国使の記注】

『蕭繹職貢図』
『蕭繹職貢図』

倭國使
倭國在帯方東南大海中依山島居自帯方循海水乍南乍東對
其北岸歷三十餘國可万餘里倭王所(※1)在會稽東氣暖地温
出眞珠青玉無牛馬虎豹羊鵲(※2)面文身以木綿帖首衣
横幅無縫〈以下欠落〉

『蕭繹職貢図』(宋人摹本残巻)

倭国使。

倭国は帯方の東南、大海の中、山島に依りて居る。帯方より海水に循(したが)いて乍(たちまち)ち南、乍ち東へと行き、その北岸に対して三十余国を歴ること万余里にして、倭王の〔居処する〕所は会稽の東に在り。気は暖かく、地は温かい。

真珠・青玉を産す。牛・馬・虎・豹・羊・鵲(かささぎ)なし。〔欠損〕。面と体に文身(いれずみ)し、木綿を以て首を帖(おお)い(巻き)、衣は横幅にして縫(ぬ)い目なし。

〈以下欠落〉

【諸番職貢図巻:倭国の記述】

『諸番職貢圖巻』専修大学東アジア世界史研究センタ一年報第6号より(2012年3月)
『諸番職貢圖巻』専修大学東アジア世界史研究センタ一年報第6号より(2012年3月)

斯羅國…(中略)…屬韓或屬倭

倭國在東南大海中依山島為居地氣暖
出珍珠青玉無(※1:牛馬虎豹羊鵲男子皆)黥面文身
以木綿帖頭衣横幅無縫但結束相連好沈水捕魚蛤
婦人只被髮衣如單被穿其中貫頭衣之男女徒跣
好以丹塗身種禾稲麻苧蠶(※2)桒出袖布縑錦
兵用矛盾木弓箭用骨為鏃其食以手器用籩豆
死有棺無槨齊建元中奉表貢獻

『愛日吟廬書畫續録』卷五清 7 张庚诸番职贡图卷(諸番職貢圖巻)

斯羅国……韓に属すか、または倭に属す。

倭国は東南の大海の中、山島に依りて居と為す。地の気は暖かい。珍珠・青玉を産す。牛馬・虎豹・羊鵲なく、男子はみな顔と体に黥(いれずみ)し文身す。木綿を以て頭を帖(おお)い(巻き)、衣は横幅にして縫い目なく、ただ結び束ねて相い連ぬ。水に沈みて魚・蛤を捕ることを好む。婦人はただ髪を被(かぶ)り、衣は単被のごとくその中を穿ちて頭を貫く貫頭衣(かんとうい)と為す。男女ともに徒跣(とせん)。

丹を以て体に塗ることを好む。禾・稲・麻・苧・蚕桑を種(う)え、袖布・縑(けん)・錦を産す。兵は矛・盾・木弓・箭を用い、鏃(やじり)には骨を用う。その食は手を以てし、器は籩豆を用う。死者には棺あり槨なし。斉の建元の中(479〜482年)、表を奉じて貢献す。

語注

語句読み解説
蕭繹しょうえき梁の元帝(在位552〜554年)。
蕭衍(武帝)の第七子。
文人として著名。
摹本もほん原本を写した複製。
蕭繹の原画は失われ、宋代の写しが残る。
木綿帖首
木綿帖頭
もくめんちょうしゅ
もくめんちょうとう
木綿〔植物繊維の布〕で首・頭を巻くこと。
倭人の装束。
ちょう「貼り付ける・ぴったりと当てる」の意。
頭巾・布を頭に当てる。
衣横幅無縫ころもはよこはばにしてほうがなし横幅の布を縫い目なく体に巻いた倭人男性の衣装。
斯羅国しらこく新羅のこと。
「斯羅国は韓または倭に属す」という記述が注目される。
貫頭衣かんとうい布の中央に穴を開けて頭から被る衣。
倭人女性の服装として複数の史書に登場。
黥面文身げいめんぶんしん顔・体に入れ墨をすること。
斉建元中奉表貢献せいけんげんちゅうひょうをたてまつりこうけんす479〜482年に南斉へ使者を送ったこと(南斉書の記録に対応)。

この原文に関する論点

📌 確認できる事実

  • 梁の元帝・蕭繹(552〜554年在位)が倭国使の図像を制作した記録がある
  • 宋代の摹本に「木綿帖首(もくめんちょうしゅ)」という倭人の服飾の具体的描写が残る
  • 諸番職貢図巻は「斯羅(新羅)は韓または倭に属す」という注目すべき記述を含む
  • 両資料ともに「衣横幅無縫(縫い目のない横幅の衣)」を共通して記述する

💬 解釈が分かれる箇所

「木綿帖首」の意味

「木綿(もくめん)」が植物繊維の綿(ワタ)なのか、あるいは「木綿(ゆう)」と読んで楮などの繊維かについて議論がある。
また「帖首」が「頭に布を巻く」意味なら頭巾的なもの、「首(ひも)で帖る」なら別の着用方法となる。

「斯羅国、屬韓或屬倭」の意義

新羅(斯羅)が「韓または倭に属す」という記述は、5〜6世紀における朝鮮半島と倭の政治関係を示す。
倭が新羅に対して何らかの政治的影響力を持っていたとも読め、日本書紀の任那・新羅関係記事と対比して解釈される。

蕭繹の図の制作時期

蕭繹が職貢図を描いたのは552〜554年とされるが、資料収集は皇太子時代(531年以降)からとも言われる。
倭使が梁に来たのはいつかについての確定が難しい(梁書では武帝期の記録あり)。

現存摹本の信頼性

宋代の写本であるため、原図の描写がどこまで忠実かは不明。
テキストの欠損部分の補完も試みられているが、確定はできない。

🔍 仮説段階(要注意)

  • 職貢図に描かれた「倭国使」の図像(人物の外見・服装)は、現存する画像からどこまで読み取れるか。入れ墨・頭巾・横幅の衣などを視覚的に確認できるか。
  • 諸番職貢図巻の「斯羅国屬韓或屬倭」は何を根拠にした認識か。6世紀の実態か、伝統的な中国側の地政認識の反映か。
研究者にシェア!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次