『古事類苑(こじるいえん)』は明治政府(神宮司庁など)が編纂した日本最大の百科事典(全30部1000巻)で、1896〜1914年(明治29〜大正3年)に刊行された。国文・漢籍・記録類から関係記事を分類収録した類書であり、本書地部巻1「地總載・倭国」の項には、山海経の原文・後漢書の倭関係記事・本居宣長『国号考』の「倭」字および「和」字の考証文・日本書紀・続日本紀の用字変遷など、「倭」という国号に関わる史料が集成されている。
史料データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | 古事類苑(こじるいえん) |
| 巻・章 | 地部 巻1 地總載 倭国 |
| 編纂機関 | 神宮司庁(文部省等から引き継ぎ) |
| 分類 | 官撰類書・百科事典 |
| 刊行年 | 1896〜1914年(明治29〜大正3年) |
| 底本 | 国際日本文化研究センター 古事類苑データベース |
| 参照URL | https://shinku.nichibun.ac.jp/kojiruien/ |

収録内容の概略と現代語訳・解説
1. 『山海経』の引用(倭属燕と郭璞注)
引用元の内容:
『山海経』海内北経からの引用として、「蓋国在鉅燕南倭北倭屬燕(蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り。倭は燕に属す)」という一文が引かれている。さらに、晋の郭璞(かくはく)による注記として、「倭国は帯方の東の大海内に在り。女を以て主と為す…」という魏志倭人伝と類似する風俗記述が添えられている。
解説:
古事類苑は「倭」の最古の用例の一つとして山海経を冒頭に挙げている。郭璞注が付されていることから、江戸〜明治期の学者が山海経を読む際にこの注釈付きのテキストを標準としていたことがわかる。

2. 『後漢書』東夷伝の引用(倭国大乱と卑弥呼)
引用元の内容:
『後漢書』倭条から、倭の地理的概観、建武中元二年(57年)の倭奴国の朝貢(金印授与)、安帝永初元年(107年)の帥升の遣使、桓霊の間の倭国大乱、および卑弥呼の共立に関する記述が引用されている。
解説:
正史における倭国の基本情報として後漢書が引かれている。魏志倭人伝ではなく後漢書が優先されているのは、「倭国」という名称や大まかな歴史の流れを示すのに適していると判断されたためか。

3. 本居宣長『国号考』の引用(「倭」と「和」の字義考証)
引用元の内容:
本居宣長の著書『国号考』からの長文の引用。宣長は、「ヤマト」という言葉は日本固有の美しい名前であるが、文字を持たなかった古代日本人が、中国人が名付けた「倭」という字を借りて「ヤマト」と読ませたのだと論じている。さらに、後に「倭」の字を嫌って同音の「和」の字を当て、最終的に「大和」と書くようになった経緯を、古事記や日本書紀、万葉集の用例を引きながら詳細に考証している。
解説:
江戸時代後期の国学の到達点を示す記述。宣長は「倭(わ)」が本来「従順」などを意味する他称であり、自称としての「ヤマト」とは本来無関係の字であると見抜いていた。この考証が古事類苑に収録されていることは、明治政府が「ヤマト」という国号の歴史的変遷をどう公認していたかを示している。
4. 『続日本紀』などの引用(「大倭」から「大和」への改字)
引用元の内容:
天平勝宝年間(749〜757年)から天平宝字年間(757〜764年)にかけての各種史料(続日本紀など)の引用。この時期に「大倭国」が「大和国」へと正式に表記変更された過程を裏付ける記述が集められている。
解説:
本居宣長の考証を裏付けるための一次史料群。8世紀中頃に国家の公式表記として「和」が定着した歴史的事実を、具体的な記録の蓄積によって示している。

5. 谷秦山『秦山集』などの引用(史料批判)
引用元の内容:
江戸時代の土佐の学者・谷秦山(谷重遠)の著書『秦山集』からの引用。山海経の「倭属燕」という記述に対して、当時の燕の勢力範囲や地理的状況から考えて実際に属していたとは考えにくく、中国側の誇張や伝聞の誤りであろうと批判的に検討している。また、新井白石の『馭戎概言』なども引用され、「倭奴国」の呼称に関する論考が収められている。
解説:
単に古い記述を盲信するのではなく、江戸時代の学者たちがすでに中国史書の記述を客観的・批判的に分析(史料批判)していたことがわかる。古事類苑はこれらの批判的論考も併録することで、事典としての客観性を担保している。
語注
| 語句 | 読み | 解説 |
|---|---|---|
| 国号考 | こくごうこう | 本居宣長の著作。 日本の国号(大和・日本など)の起源と変遷を論じたもの。 |
| 秦山集 | じんざんしゅう | 江戸時代中期の学者・谷秦山(たに じんざん/谷重遠)の著作。 |
| 馭戎概言 | ぎょじゅうがいげん | 新井白石の著作。日本の対外関係史を論じたもの。 |
| 下學集 | かがくしゅう | 室町時代(1444年)成立の国語辞書。 漢字に和訓・発音を付す。 |
| 天平勝寶 | てんぴょうしょうほう | 孝謙天皇の年号(749〜757年)。 「大倭」から「大和」への改称が行われた時期。 |
| 天平寶字 | てんぴょうほうじ | 孝謙・淳仁天皇の年号(757〜764年)。 続日本紀の「大和国」初出が確認される。 |
| 避諱 | ひき | 皇帝・親の実名を避けて別の字・音で表す中国の慣行。 |
この原文に関する論点
📌 確認できる事実
- 『古事類苑』地部巻1「地總載・倭国」は、山海経から続日本紀まで「倭」「和」国号に関する諸史料を集成している
- 山海経・海内北経に「南倭北倭屬燕」と「以女爲主・丹朱塗身・無縫衣服」の注記が存在する
- 本居宣長『国号考』は「倭」字が外国起源の字であること、「夜麻登(ヤマト)」への当て字として古くから使われたことを考証した
- 続日本紀の記録分析から、「大倭」から「大和」への改字が天平勝宝4年11月〜天平宝字2年2月の間に行われたことを宣長が確定した
- 谷秦山(『秦山集』)は山海経の「倭属燕」を批判的に検討したことが集成されており、江戸時代における史料批判の水準を示している
💬 解釈が分かれる箇所
- 「倭」の本来の字義
-
本居宣長は「従順」などの意味と解釈したが、近代以降の研究では「矮(背が低い)」に通じる蔑称であるとする説や、「ワ」という現地音の単なる音写であるとする説など、文字の起源について様々な解釈が存在する。
古事類苑は宣長の学説を代表的な見解として収録している。 - 山海経の「倭属燕」の真偽
-
『秦山集』が指摘するように、紀元前の燕の勢力が実際に日本列島(あるいは朝鮮半島南部の倭人居住区)にまで及んでいたかについては、考古学的な裏付けがなく、神話的地理書特有の誇張とする見方が現在でも主流である。
🔍 未解決の仮説・問い
- 古事類苑に集成された江戸時代の国学・儒学の知見(本居宣長・新井白石・谷秦山ら)は、現代の邪馬台国研究においても基本的な文献批判の土台となっている。当時の彼らがアクセスできた史料の範囲と、現代の考古学的発見をどのように統合していくかが問われている。

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